命と懸命に向き合ってくれてありがとう!

どうしていいか分からず、手探り状態の中で、
戸惑い、慌て、嘆き、なんとかしたいともがき、
苦しい中で、母の命に寄り添ってくれてありがとう!

諦めた時、どれほど無念さを感じたことか・・・。

そして、今なお、母を救えなかった自分を「敗者」と責め、
あの頃の悲しみがぬぐえずにいる・・・。
あぁ、どうか自分を「敗者」と呼ぶのはやめておくれ。

あなたは「敗者」ではない!

命と懸命に向き合った勇気あるチャレンジャーなんだよ!

あぁ、ものすごい慈愛のエネルギーが
ぐわぁぁぁぁと届いていますね。

光に戻った母は今、苦しみの中にいない。

命いっぱい生きた自分を誇らしく思い、輝きと喜びに満ちている。
決して残念にも、無念にも思っていないよ。

そして、懸命に寄り添ってくれたあなたに、
感謝のエネルギーを送っている。

あなたが自分を責める要素なんて、なにひとつない。

力強い言葉ですね。

あなたが母を大切に思うなら、
自分を責めるのをやめて、自分に誇りを取り戻してほしい。

自分の人生をなんの負い目もなく楽しんでいいと、
許可してあげてほしい。

光に戻った母はそれをなによりも望んでいる。

今からでも母にしてあげられることがあるのだということを、
知っていてほしい。

あなたがなんの負い目もなく人生を楽しむこと。

自分の頑張りをおおいにねぎらい、
今、ここから、自分の人生を自分の喜びのために生きること。

これが光に戻った母のなによりの願いであり、宇宙の意志である。

「・・・!!!」(伝わってくる慈愛の大きさに圧倒されるみやがわ)

「病気の母を救えなかった」という想いや、
「あの時、もっとこうしていれば・・・」という想いは、
今から、ここから、自分のために、そして、自分のまわり
にいる大切な人のためにしてあげてほしい。

どれほど想いを込めても、大切な人を失うと後悔は残る。
それが人というものだ。

人は「永遠の命の存在である」ということを、
思い出せないでいる。

それにより、「もっとこうしてあげていれば・・・」
という後悔の鎖で、自分をがんじがらめにしてしまう。

病気で大切な人を失った悲しみよりも、
さらに自分を責め苦しめるのが、
大切な人を自死で亡くした人たちだね。

この悲しみと、怒りと、無念さ、
行き場のない渦巻く感情を、
どう扱っていいのかさえ分からず、
長く暗闇の中に居続けてしまう。

頭で分かることと、心で分かることは違う。

どのようなメッセージを伝えたとしても、
大切な人を突然、自死で失った人の悲しみは、
すべてが癒えるわけではない。

ただこれだけは伝えよう。

あなたがどれだけ後悔していようと、
自分を責めていようと、
あなたは宇宙からすべて許されている。

あなたを責める要素など、
この宇宙にはなにひとつないのだということを。

「・・・!(涙)」

責めているのは、あなた自身の中にある
「救えなかった」「取り返せない」という想い。

確かに肉体ある身として、話したり、
触れ合ったりできない喪失感は計り知れない。

だけど自死した魂もまた、確かに「命」として、
今も存在していることを、認めてあげてほしい。

肉体の身としては、どうしても耐えきれず
肉体から離れたけれど、形を変え、
今も確かに存在している。

次の人生に向けてエネルギーを蓄えている。

そのことをどうか許してあげてほしい。

フィールドは変わったが、
あなたはあなたのフィールドで、
自死した魂はまた別のフィールドで、
それぞれに「今」を生きている。

このことを肉体がある人に伝えても、
理解できない人がほとんどだろう。

光に戻ったとき、すべての謎解きができる。

今、分からなければ、分からないままで。

あなたができることは、

「自分の人生を、さぁ、どう生きようか?」

という、自分のためのワクワクとした問いかけだけ。

あなたを責めるあらゆる人や、ものや、想いから、
あなたを守ってあげるんじゃよ。

自分が創り出した思い込みからもね。