なぜ21キロというギリギリの体重で生きていられるのか?
不思議に思わぬか?

まだやり残したことがあり、命をこの世にとどめておく必要があるのじゃよ。

今、生きていられるのは、光のサポートなしではありえない。

そのことに気づいているかね?
感謝はあるかね?

この女の子も、両親も、決して一人で向き合っているわけではない。
見えない守護があり、生かされている。

「娘が死んだらどうしよう」
「どうしてこんなことに・・・!」

となげく気持ちはわかるが、
今、目の前にある奇跡に、なぜ感謝しようとしないのか?

周りの者もそう。

「苦しそう」
「辛そう」
「大変そう」

今の現状をなげくばかりで、誰も目の前の奇跡に感謝していない。

祈るなら、

「今、この状態で命を支えていただいている奇跡に感謝します」

と祈ってあげるんじゃよ。

不安や辛さや苦しみのエネルギーが渦巻き、光が差し込まない。
この現状に誰かが光を差し込む必要がある。
もはや言葉はいらない。
言葉を超えた承認の世界で、

「奇跡が起きているんだ!」
「守られているんだ!」

と祈ってあげなさい。

両親は毎日毎日向き合っていると、気がめいってしまうから、
祈りはまわりの人が送ってあげるといいね。