亡くなった魂はお墓にいるわけじゃないよ。
時間と空間のない世界にいる。
そこでは、つながろうと思えばいつでも意識を向けたところにつながることができるんじゃよ。
お墓は亡くなった人のためにあるというより、むしろ、生きている人が故人を偲ぶ場所であり故人の魂とつながるための「スイッチ」になる場所じゃな。

「スイッチ?」

「そう。どこにいても、故人に意識を向けた時に、つながっているのじゃが、お墓の前とか、仏壇の前とかの方が、より神聖な気持ちになりやすい。そのための儀式だね。

「ご先祖さまが生まれかわっている場合、生きてる側の気持ちは伝わっていないんでしょうか?」

魂は深いところでみんなつながっている。ゆえ、生まれ変わっていようと、魂レベルではキャッチしているんじゃよ。ただ顕在意識としての自覚はないのぅ。

そうなんですね。

ふむ。

お墓や仏壇の前というのは、神聖な気持ちになり、心清らかに故人に向き合いやすいから、その時に故人と対話をしてみたら、 心のなかにメッセージがふと浮かびやすいかもしれぬなぁ。

なるほど、故人との対話ですね。
あの…、ご先祖さまはお墓参りを喜んでいるんでしょうか?

亡くなった魂は、みんな「愛」そのものに戻ってるからねぇ。
まず、そち自身が幸せになること。
これが、亡くなった魂が一番に望んでいることじゃよ。

そうなんですね。なんかありがたいですね。
ご先祖さま、ありがとうございますという気持ちに、自然になりますね。
あの…、お墓参りに行けない罪悪感は、抱かなくていいんですかね?

何度も言っているように、お墓に行かなくても、故人に意識を向けた時、つながっているんじゃよ。お墓に行けないという罪悪感を感じるんだったら、時々故人に意識を向けてあげるといい。

今みたいに、ご先祖さまありがとうございます、という気持ちでな。

はい。そうします。
お墓が荒れていることで、ご先祖さまが嫌な思いをされている…については?

嫌な思いをするのは、実は生きてる人の方なんじゃよ。
「無縁仏になってしまって、かわいそうに・・・」とか、「お墓が荒れてて、あれじゃきっと、いいことが起こらないよ…」とかね。
生きてる人の思いが、その『場』のエネルギーに影響する。
また罪悪感を感じることで、より重いエネルギーになる。
自分はお墓が荒れてても気にしないと思っていても、他人が勝手にいろいろ心配したり、思いをのっけてくるから、もし今後お墓のお世話がどうしても無理な場合は、お寺などにお願いして永代供養をしてもらうのがいいね。

そうですね。それだと跡取りがいなくて、無縁仏になることを心配されている方も、安心されますね。 先祖供養のことでは、たたりがあるとか、先祖が悲しんでいる…という人もいますが、これについてはどうですか?

いろんな教えがある。
見えないものが見える人の中にも、いろんな波動の人がいる。
その人の波動の状態により、おどろおどろしいものを見ることもあるじゃろう。
波動の高い状態で見ると、また違って見えるのじゃがな…。
今の時代は「愛」の時代ゆえ、おどかしたり、怖がらせたりするのは、ちょっとねぇ。
もし怖がらせる人がいたら、それをそのまま信じこむのではなく、冷静に客観的に観察する視点をどこかにもちながら、話を聞いてほしいね。