神を生む話

しあわせ通信(毎月1日・15日更新)

本記事は「しあわせ通信218号」の内容を再編集して掲載させていただいています。

江戸時代の末期から明治にかけて、岡山県に川手文治郎という方がいらっしゃいました。

この方はもともとお百姓さんだったのですが、42歳を転機に金神さまを信仰されるようになり、ついに金光教の開祖となられた方です。

金神さまとご縁が出来たのは病いがきっかけでした。医師も手を放すというほどの、もはやこれまでという重篤な状態であったそうです。

それで親戚一同が集まって病気平癒のための加持祈祷かじきとうをするということになりました。

その時に、親戚の一人に突然石鎚いしづちの神さまがかかり「文治郎の病いは、屋敷建て増しの際に金神さまにご無礼をいたしたせいである」と伝えました。

それを聞いて文治郎さんの義父が「そんなはずはありません。この文治郎は『信心文さ』というあだ名がつくぐらいで、建て増しの際もご無礼がないように、その道の方にも相談して充分気をつけて普請いたしております」と抗議しました。

その時に、文治郎さんは『ああ、お父さんは何ということを言われるのか』と驚かれたそうです。

すると塞がっていたノドが突然開いて(喉が腫れて声が出ない、食事も通らないというような病気だったらしいです)、声が出るようになりました。

「ああ、それは違います。人間のやることですから、気をつけたといっても、どこにいたらぬところがあったか知れたものではありません。間違ったところ、到らなかったところが沢山あったに違いありません。申し訳ありませんでした。お許しください」とお詫びされました。

すると、石鎚の神様は「よしよし、お前は物事がよく分かっておる。病気を治してやろう」とおっしゃって、それから文治郎さんの病気は快方に向かいました。

当時、金神さまは祟りの神様とされていて、民衆に大変恐れられていました。特に方位にうるさい神様とされていたようです。屋敷建て増しの際に方位のご無礼があったというわけですね。

そんな「恐い、うるさい疫病神、祟り神」とされていた金神さまが、文治郎さんが誠意がこもった、行き届いた丁寧な信仰をしておられるうちに、どんどん「愛と思いやりに満ちた、頼りがいのある神様」へと変貌してゆかれたのです。すごいことですね。「人が神を変えてしまう」ということもあるのです。

古事記には、イザナギ・イザナミの国生み神話が説かれていましたね。

イザナギ・イザナミは、「人」です。天界から地上に降臨された最初の人です。その人が国土を生み、次にアマテラスやスサノヲなどの神々を生んでゆかれたというのが、他の国には類をみない日本民族特有の神観だと思います。

つまり、「人」が神を生み出したわけです。どうしてそんなことが可能なんでしょう。それは次のような理由から可能なのです。

「いのち」とは、「」のことです。「意」のエネルギーが集まって定着したところに「いのち」が発生します。その「いのち」の性質は集まった「意」の傾向に従います。

たとえば、「トイレの神様」などと言いますね。これはどういうことかというと、ある人がトイレに感謝して、丁寧に、誠意をこめてお掃除していると、その感謝の掃除の繰り返しによって、「善き意念」がトイレにドンドン定着してゆき、やがて「いのち」が宿って、「善き意志」を持って働きはじめるのです。

そうなった時、トイレに神が宿った、「トイレの神様」がいらっしゃるということになるのです。

そうなると、そのトイレに入るだけでなぜかホッと安らげて、癒される、なぜか元気が回復するということが起こるのです。
 
このように、人は「神さま」をさえ生み出すことが出来ます。

たとえば、あなたがとても大切にして、愛情を込めて丁寧に扱い、手入れを怠らない品物があったとします。

そうすると、その品物にはついに「いのち」が宿ります。その品物に注いだあなたの意念は「善き波動」でしたから、当然その品物は「善き波動」を放つものになってくるのです。そうすると、その品物は、あなたを常にサポートしてくれる「お守り」となるのです。

イチロー選手は、自分のバットやグラブなどの用具をとても大切にして、丁寧に手入れされていたのだそうですね。それで、バッドやグラブがイチロー選手の守り神となってくれていたわけでしょう。

物品ばかりではなく、あなたが住まっておられる家や部屋や職場や、職場の同僚でさえも、あなたが丁寧に思いやりの意念をこめて関わってゆかれれば、そのモノやヒトにあなたの「善き意念」か宿って神となり、あなたの味方となり、困ったときには必ずサポートしてくれるようになります。

道元禅師は、「正法眼蔵」の中で、仏は教えを説かれる方だとのみ勝手に思い込んではならない。師の教えを聞いて学んで行じていらっしゃる仏さまもいらっしゃるんだということも知っておかねばならないと書いておられます。
 
私はこれまで多くの師の教えを受けて学び、ようやくここまでたどり着けた、その師恩にとても感謝しています。本当に次から次へといい師匠に恵まれたとしみじみ感じるのです。

ところが、同じ師を、こんな事があった、あんなひどいことをされた…、などと批判している人もいて、私には不思議でしょうがありませんでした。

しかし、この道元禅師の言葉を知って、『なるほど、そういうことだったのか』と分かりました。

つまり、弟子としての私が、その師が持たれている最高のもの、いや師の個人性の限界さえも超越したもの(神性や仏性などと呼ぶもの)を引き出すことが出来ていたのだと思います。

師がボソッと独り言のようにつぶやかれたコトバが、私の心境を一気に転換させる契機となったというような事も少なくありませんでした。

師はその一言を無意識に何気なくつぶやかれただけなのですが、私にとってはそれが最高の一言だったというわけです。これはきっと、師の口を通して、師のアタマを経由せずに、神が直接私に伝えて下さったコトバだったのでしょう。

そのように、人は神を生み出すことも出来るし、最高の師を生み出すこともできるのです。あるいは、職場の同僚たちの神性でさえも生み出してゆく(引き出してゆく)ことも出来るのです。
 
逆の場合もあります。負の意念を繰り返し与えられたモノやヒトには、その負の意念が定着して、いのちを持ち、負の意志を持って働き始めます。だから注意しなければなりません。

私が勤めていた学校には寮があるのですが、新しく入寮する生徒のお母さんが来ました。「息子さんの部屋はココですよ」と案内すると、そのお母さんは部屋に入って困ったような顔をしておられました。そして、こう言われました。

「実は、私には霊感があって、息子にもその体質が伝わっているのです。

この部屋の、特に勉強机の周辺にはイライラした念がこびりついていて、息子もきっとこの部屋で生活したら辛くなってしまうと思います。別の部屋に変えていただけないでしょうか」
 
このように、負の意念も物体や人にこびり付いて、いのちを持ってしまう場合があるのです。

ですから、『君子危うきに近寄らず』で、そういう闇の波動、負の波動が蔓延はびこっている環境からは身を遠ざけているほうがいいのです。

文治郎さんは、「悪口を言っている人がいたら、その場から離れなさい」とおっしゃっていますが、これは、悪口を言っているような人の波動は闇、負のものなので、そんな有害な波動に感染しないようにしなさいと言っておられるのです。

しかし、乱れた波動を過度に怖れるというのも問題だと思います。

低い波動は心境レベルの高い波動には勝てないので、心境を高く保ってさえおれば、そんな闇の低レベルの意念に引き込まれることはありません。

私は大学院では生体リズムの研究をしました。あまりいい研究者にはなれず、「立花君の論文は本論より、本論から外れた概説や展望などという箇所の文章がとても面白いねえ。いろんな方向へ研究を進めてゆく上での可能性やヒントがいっぱい貰えるよ」と先輩方に評される始末でした。

こんな簡単なリズムの実験があります。

机の面上で、右手の平と左手の平でタンタンタンとリズムを打ちますが、右手のリズムと左手のリズムを違えるのです。

たとえば、右手を速いリズムにし、左手をそれより遅いリズムで打つことにします。

そうしてしばらくタンタンタンと打ち続けると、やがて両方のリズムがそろってきます。必ず速い方のリズムに引き込まれてリズムが合ってしまうのです。

それと同じように、暗くて粗い意念の波動は重々しいもので、ですから振動数も低いのです。

また、心境が高い意念の波動は軽やかで精妙で、そして振動数が高いのです。

そういう二つの波動が重なると、結局振動数の高い、心境がハイレベルな意念が低い意念に勝ってしまいます。

ですから、暗い意念がこびり付いている部屋や物品があったとしても、その暗い波動にあなたが引き込まれてしまうということはありません。

では、どうすれば闇の波動に影響されないレベルの波動を維持出来るのでしょうか。

それには3つの条件があります。

(1)心に蔓延はびこっている雑音を出来るだけ減らして、「空」の状態に近づけること。

それには、やはり坐禅をしたり、お経や祝詞をあげたり、神社やお寺に足繁く参拝するといった、「身から入る方法」がいいのです。

もちろん、生きてる以上、完全にカラッポになるということはありませんが、「空」に近づくほど波動が細やかに、振動数が高くなってゆきます。あるレベル以上になると、「光」の領域の波動になって、自身の体が発光しているのさえ実感されるはずです。

(2)自分も人も世界も、共に魂の進化過程にあって、これからますます成長し、いい未来が開けてくるんだと、明るい未来を信じること。

どんなに厳しい行を重ねても、根本的に人類の未来は破局に向っているんだというような悲観主義に心が覆われている人には決して明るい未来はやってきません。

(3)自分より、まず人や世界のしあわせを祈ること。

職場に着いたら、まず『同僚がみんなしあわせでありますように』と祈り、電車に乗ったらまず『この車両に乗り合わせたみんながしあわせでありますように』と祈り、坐禅を始める時は、『私にご縁がある皆さんが全員しあわせな人生をおくられますように』と祈ります。

このように、機会がある毎に「人や世のしあわせのための祈り」を繰り返してゆくと、この祈りは観音様や文殊様、地蔵様などの大乗菩薩が持っておられる祈りなので、その祈りの光の次元の波動であなたの魂も共振するようになるので、そうなったらあなたは「光のバリア」につつまれて、レベルの低い闇の次元の波動に襲われることは決してないのです。

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