鈴木正三老師のこと-その2-

しあわせ通信(毎月15日更新)

正三老師が生きていらっしゃった時代が、いかに殺伐とした、民衆が不当に虐げられていた時代であったかが分かる逸話が、『驢鞍橋ろあんきょう』にも掲載されているので紹介しておきましょう。

人斬りをやめさせる

ある時、正三老師が語られた。「紀州に某という強者つわものがいた。国中に聞こえた<人斬り>で、家中の者(家来や使用人)を少しの事でも許さずに斬るのだ。

この者がある日、ワシのところにやって来て尋ねた。『それがしは、天下に名を知られた<人斬り>です。是れは悪業となるでしょうか』

ワシは聞いて『業とはならない。きっとその方は無理無体に殺したりしないのであろう。
人を殺したり、盗みをしたり、けしからぬ行いをした、とがある者を殺されるのだろう。咎なくして殺すような事はなさるまい』と言えば、彼の者は『その通りです』と答えた。

私はしばらくして言った。『たとえば、同僚の中、家中でない他家の者たちの中で、けしからぬ,許せぬと思われる者はいないのか』と問えば、『いや、たくさんいます』と答えた。

そこで、ワシは言った。『君はそんな者もやはり殺すのか』と問えば、『いいえ、殺しません』と答えた。

そこでワシは言った。『さてさて、卑怯千萬な人かな。<人斬り>ならば、なぜそのような者どもも切り殺さないのか。他家のけしからぬ者どもを斬ることが出来ず、内の家来や使用人が平身低頭して身を震わせていたり、這いずり回って逃げようとしている弱い者どもを、少しのことにも斬り殺す、そんな卑怯なことがあろうか』

このように、強くはずかしめたところ、彼の者は、ヒシッと心に受け取って、刀を抜いて金打きんちょうして『もう二度と<人斬り>はしません』と堅く誓った。
(註)「金打」とは、武士が刀を少しさやから引き抜いて元に戻す際にチーンと音がする。この動作で、約束を堅く守ります、誓いますと相手に示した。

それ以来、某は誓いを守って、二度と人を殺すことはなかった。このように、かしの木のしょうの者(頑固で堅いけれど、折れる時は、鮮やかにパキンと折れる)の切れ端は格別に鮮やかだ」


同じような正三老師の逸話が残っています。これは、まだ出家なさる以前の話です。

辻斬りをやめさせる

ある人が語った。「正三老師がまだ出家なさる前、秀忠公の家来であった時、同輩に<辻斬り>をするというウワサの者がいた。

師は『君は<辻斬り>をするというウワサがあるが、それはウソだろう』と尋ねた。
その者が『いや、本当だ』と答えた。

師は言った。『いや、<辻斬り>はやっておられまい』
その者は、『じゃあ、<辻斬り>するところをお見せしよう』と二人で出かけた。

人影がまばらである場所の暗闇に潜んでいると、町人が二人通った。彼の者は暗闇を出て斬ろうとした。師は『それじゃない。ワシの指図する者を切れ』と留めた。

その後、千石ばかり取っていそうな風情の高い身分の武士が通った。
師は『あれを切れ』と言って、自らも(斬るために)出て行こうとされた。彼の者は驚いて『とんでもない人だ』と引き留めて出て行かせなかった。

師は言った。『さてもずいぶん腰抜けではないか。ワシは飛びだして斬ろうとしたのに、おぬしは腰を抜かして斬ろうとしない。あのような身分の者は斬ることが出来ず、丸腰の町人を斬って喜ぶ。そのような卑怯千萬なことがあろうか』と辱めたところ、この者は<辻斬り>をやめることを誓って、二度としなかったということだ」 


正三老師は三河武士の典型なのだと思います。後先の計算、損得の勘定など一切せず、ただ敵に向かって飛び込んでゆく。前へ、前へと進んでゆく。死のうが生きようが、決して後ろに引かないという精神ですね。

そんな三河魂に加えて正三老師には、ツラい立場の者、弱い立場の者に対する深い慈愛の念を持っておられたことが分かる逸話もたくさんあります。

娑婆しゃば相身互あいみたが

老師が正月にある寺を訪れた。そこに万歳師(各家をめぐって謡や舞いで新年を祝い祝儀をもらう職業の人。三河万歳)がやって来た。その寺の住職は、「もう何人もやって来たから帰れ」と言って追い返そうとした。万歳師は、「重ね重ね、目出度さをお祝いさせて下さい」と願った。

正三老師はおっしゃった。「ただ舞わせなさい。あれはあのワザで身過ぎをして世を渡っているのだ。総じて娑婆というものは、お互いに助け合って身過ぎ世過ぎをしてゆくものだ。
我も娑婆のおかげで身過ぎをさせて頂いておりながら、人には身過ぎをさせまいというのはよろしくない。その内一人でも傭って給金を出して養うというのは、とても出来ないことであるけれど、手の内のわずかな銭で、世の人と寄り合って養い合うということはたやすいことだ。我も十銭出そう」とおっしゃったところ、住職も大いに感じて万歳が舞うのを許した。

徳を積む

ある人が師の思い出を語った。「行脚あんぎゃの時に、師は好んで悪い宿に泊まられました。私が『同じ銭を出しながら、悪い宿に泊まるのはやめましょう』というと、師は『同じ銭を出すならば、人の為になるようにしなくては。

よい宿は多くの旅人が泊まろうとするが、悪い宿は人が泊まらず営業存続出来ないようになるかも知れないので、その苦境を助けて泊まるのは功徳になるではないか。

わが身が少し不自由するくらいの事は、一夜だけの我慢なので問題ないではないか』と言って、ますます悪い宿に泊まられました」

爲他いたで我を忘れる

正三老師は「なんと努めても無我にはなかなかなれぬものだ。お前達も修行して合点できるだろう。
ここに一つ、<取り替えもの>があって、ワシは少し無我になれたと思う。それは、ただ人を善くしたい、育ててやりたいと強く思うばかりで、我を忘れることが出来るようになった」と語られた。

くどつくな

「ワシは分別というものが、いつの間にかなくなった。何もアタマで思い量るという事がない。

そんな状態だから、言い損ないや、やり間違いもあるはずじゃが、出放題に働いて、この歳まできたけれど、間に合わないということがない。

もともと若い頃より、無分別な性格だった。

しかし、皆が寄り集まった談合(会議)では、あれこれアタマをこねくり回す才走った連中より、ワシの一言で方針が決まることが多かった。

ワシも不思議な事だと思う。これは、つっきれて(突っ切れて)言う心を持っているからかも知れない。このつっきれ心は、もとから強く持っていた。事の談合に及んでは、問題点を聞くと、はや胸がすわって、つっきれて発言出来るのだ」


岡潔先生は『善行』について面白いことを書いておられます。

日本でいう善行と他の国の善行には少し違うところがあるようだと書いて、他の国の善行というものは、よくよく時と処と人やモノゴトに配慮して行動することをいうのだけれど、日本の国の善行はもっと単純で、少しの打算も伴わずに、思い切って身を投げ出してやる行為のことを善行というようだと書いておられます。

ところが、世界の事例を見渡しても、日本の国ほど効果的な善行が出来た国はないようだとされ、なぜそうなのか、それはこういう理由だろうと説明しておられます。

それは、全く身を投げ出して(私意、私情を抜いて)行動するとき、神(天)と繋がって、純粋直観がはたらき、それは決して誤ることがない、最善最適な行動となるのだと結論しておられます。

「実践面からみれば、この国の善行はまことに手軽で便利であって、時の森羅万象を知り尽くしてからでなければ一つの行為すら行えないというような大仕掛けなものではない」と書いておられます。

ようするに、身を捨てる覚悟で、現場に飛び込んでいけば、頭にはなぜかはさっぱり分からないことだけれど、後から振り返ってみると、人にも環境にも、実は最善最適な行動がとれていたということが分かって驚き、喜ぶことになるのですね。

心を軽くするには

ある日、さる人に教えられた。「これは修行の心得というのではないが、平生の機(気)の用い方を教えておこう。

何事を為すにも、思い立つとそのまま分別なしに作すのがいいのだ。後でやろうなどと思ってはいけない。

また、余所に行こうとする時もそうしなさい。機が発すると、そのままスッと出て行くのだ。『ああ、雨が降りそうだから後にしよう』などと分別しないで、ふと出て行くのだ。

たとえ雨が降り、雪が降るとも、面白い雪かな、童の時はよく雪遊びしたものよと思うのだ。万事、このように無分別に仕習えば、ことのほか、心が軽くなるものだ」

※ページ最初の写真は愛知県豊田市にある鈴木正三史跡公園のブロンズ像です。
Tomio344456, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

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