風の神さま

しあわせ通信(毎月1日・15日更新)

本記事は「しあわせ通信200号」の内容を再編集して掲載しています。

昭和57年発行という古い本なのですが、『あなたの運を3倍よくする本』藤田小乙姫こととめ(山手書房)が書庫で見つかって読んでみました。

この方は生まれつきの予言的能力者だそうで(修行なんかで獲得したものではない、先天的な能力だったようです)、大企業の経営者や大物政治家などからも相談を受けるというほどの方であったそうです。

この本の内容には、理解できないことも多く書かれていますが(なにせ霊能力者ですから)、普通人の私たちが人生を無事にわたってゆくうえで参考になる、なるほどと感心するようなことも沢山載っていて、そのいくつかを紹介しておくことにします。

<風が吹き抜けると運が変わる。空気を入れ換えツキを呼び戻そう>

藤田先生が講演しているとき、途中でうしろのドアが開いて、時間に遅れた人が入ってくるだけで、ガラッと会場の雰囲気が変わることがあるそうです

ドヨンと淀んでいた雰囲気だったのが、急に参加者の目が生き生きして、集中してくれ、会場が活気のあるものに変わる。

ドアが開いて、「新しい風」が吹き込んだから、そうなったのだと書いておられます。

「風」は、「運の転換」、「人生の方向転換」を掌ることがあるのです。

『ツキの呼び込み方』杉尾常聖(主婦の友社)にも、次のような話が載っていました。

数名のグループが霧島の山中を歩いていたとき、激しい「竜巻」に遭遇して死の恐怖を抱くほどの、散々な目にあったのですが、その体験の後、そのグループのメンバーに次々不思議なことが起こりました。

ある社長さんの会社は倒産寸前だったのですが、竜巻体験後、売り上げが急増し、一年後には、高配当を出せるまで立ち直ったのだそうです。

交通事故で左足が不自由になった、当時四十二歳の独身女性は、竜巻体験後、ホテルで働いているときに、東京から出張してきた一流商事会社の重役さんと知り合い、嫁いでいったということです。

そのように、グループメンバー皆に、ハッピーハプニングがあったのに、自分だけ何も起こらないとがっかりしていた中年女性がいました。その女性が関西へバスツアーに出かけて旅行第一夜に、ホテルで激しい腹痛に見舞われてツアーを続行出来なくなってしまいました。
彼女は不運を嘆いていましたが、そのツアーのバスが次の日に崖から30メートル転落して、死者12名、彼女と一緒に参加していた4名の友達も亡くなったということです。

このように、「風」、特に「激しい風」を体験すると、運命が善いほうに転換することがあるようです。

「風」の神さまは、時間・空間を舞台とした、「いのち」の「移動性」を掌ります。
過去からの「慣性(これを過去の宿業と言ったりする)」を断ち切って、「いのち」を別の方向に転換させることが出来るのは、いのちには、この「風(移動性)の神さま」が内蔵されており、それが運命を転換しなければならない時に、「激しい風」を引き寄せるのです。

「人生の逆風」なんかも実はそうなので、運命の方向転換のために、自分が引き寄せているのです。
悲観ばかりしていても運命は好転できません。この体験を有効に生かしてゆく工夫をしましょう。
ヨットは帆の向きを変えながら、風上にさえ進んでゆくことが出来るではありませんか。

ちなみに、風の神さまは、奈良県の龍田神社にお祭りされていて、ご祭神は、「天御柱命あめのみはしらのみこと国御柱命くにのみはしらのみこと」です。
このお名前の「柱」は、「竜巻」を表わすそうです。
私が伊勢で体験した天と地を結ぶ柱というのも、神霊的な意味での「竜巻」なのでしょうね。
そういえば、伊勢神宮にも、外宮に「風宮」、内宮に「風日祈宮かぜひのみのみや」がお祭りされています。

また、風の神さまの別名は「シナツヒコ・シナツヒメ・シナトベノミコト」です。
「シ」は、「風・息」で、「ツ」は「集まる、エネルギーの結集」です。
つまり、風のエネルギーが凝縮した神さまなのです。

大祓詞には、「科戸シナトの風の天の八重雲を吹き放つ事のごとく…」とあります。
この「科戸」は、古語辞典によると、「シ(息・風)のト(門)」で、「風を吹き出す源としての神」という意味だそうです。

藤田先生の本には次ぎのような例があげられていました。

ある会社の社長さんが、非常に大きな建物を建てようとした時、銀行に出向いて、建設資金を借りようとしたのですが、何しろ莫大な金額なので、粘りに粘ってお願いしてもOKが出ません。

その時、この社長さんは、藤田先生が「事態が膠着したときは、風を入れるといいですよ」と言っていたのを思い出したのです。
そこで、社長さんは、今回の交渉はこれまでとして、挨拶をして部屋を出ました。
その時、わざと名刺入れを部屋に置いてきて、忘れたていにして、取りに戻ったのです。
そうして、もう一度あらためて借金の申し入れをしたところ、相手の態度も、なぜかさっきとは違う。今度はスムーズに話がまとまって、とうとう融資を取り付けることが出来たということです。

部屋のドアを、二度開閉しただけで、交渉の風向きを変えることができたわけですね。

人と人の関係というものは、いったん構築されたお互いの関係構造は、なかなか突き崩せません。
この例では、「お願い役」と「拒絶役」という役柄が、ガッチリ決まってしまっていたのです。

しかし、いったん部屋の外に出たことによって、お互いの「お願い役」、「拒絶役」という役割が解除されます。
特に、「拒絶役」というのは、大変エネルギーがいる役割なので、社長さんが部屋から出て行くと、ホッとして、役割のヨロイを脱ぎます。
そんなリラックスした状態に戻っていたところに、社長が戻ってきたので、話がまとまったのです。

本当を言うと、この社長さんは、少々ずるいですね。
相手が武装解除して無防備になった状態で攻め込んでいったわけですからね。
催眠術では、被験者を判断能力がない無防備な状態にしておいてから、暗示のコトバを一気に与えて、被験者の心に定着させ、そのコトバ通りに行動させるというのがありますが、その応用版でもありますね。

<面会で大切なのは、帰りがけの一言です>

要するに、一対一で向かい合って話をしている時は、お互い役割のヨロイを着て話し合っているので、相手の心の中まで、なかなか自分の想いを届けることができないのです。

しかし、これで面会が終わったとなると、つい気を許してヨロイを脱いでいるので、お別れの最後の一言は相手の心の奥までスッと届き定着するのです。

若い頃、どうしても相性が悪い、苦手な生徒がいました。
その生徒と接すると息苦しくなるのです。
その生徒も私に接するとイライラして、私を嫌っているんだということがハッキリ分かるのです。

ある時、その生徒と面接していて、ふと「A君、暑くなったから、窓を開けようか」といったところ、A君はサッと立ち上がって窓を開けてくれたのです。
 
その途端に、A君と私の膠着状態の関係が、一気に解消されたのです。お互いの心の窓が開いて、運命転換の「新風」が吹き込んだのですね。

<厄年とは、大きく飛躍するために必要な、一生のなかの、重要な節目です。厄年のあと、非常に伸びた人を、私はたくさん知っています>

私がそうですね。42歳の「厄年」が神さまの「役年」になったのです。
とはいうものの、厄年には、大病をしたり、苦境に陥ったりということがありがちです。
その「厄払い」の次のような方法を教えておられます。
 
<大切にしているもの、ガマ口でも、万年筆でも、意識的になくしたり、神社に納めるのも効果ある厄払いの方法です。何でも自分のものにしていてはいけないのです>

罪が積み重なって、それが表面に現れるほどになって「厄」となるのです。

「罪」とは、「積み」でしたね。
自分の手元に、お金や品物や土地や地位や名誉などを積み重ねて、後生大事にそれらを握り占めて、手放さないぞと自分の手元に積み重ね続けるから「罪」になるのです。

ですから、とにかく自分が大事にして、手放したくないものを思い切って手放すことが「祓い」になるのです。
つまり、「はらい」とは「はらい」なのです。

もちろん、すべてのお金や土地や財産などを、一切合財手放すというのは、出来る人はそうすればいいけれど大変です。

ですから、「祓い(払い)」を象徴的な一品でするという方法でゆくわけです。

たとえば、大切にしている品物とか、自分が、この程度なら「厄年の祓い」になると思える程度の金額を、慈善団体や寺社などに布施するといった方法です。

私の場合は、お金にも財産にも縁のない人間なので、いのちを神さまにささげますという「祓い」となったわけですね。

<大きな家を建てると、その直後に何か大きな事件にまき込まれたり、それまで順調だった人が突然、凶事に見舞われることが多いのです>

人は誰でも運命の波があります。
幸運の波が終わって、いよいよ運命が下降期に向うという時期になると、人は本能的にそれが分かり、『何とかしなくちゃ』という、落ち着きのない気分になるものです。

そこで、ついあせって行動に出てしまい、思い切って大きな家を建ててみたり、新しい事業に踏み出したりしがちなのです。
すると、運命の下降期が一気に進行してしまうということになるというのが、藤田先生のおっしゃっていることです。
ですから、大きな家を建てたり、新しい事業に踏み出すというのが一概に悪いというわけではありません。
 
藤田先生の本では、笹川良一さん(若い人には分からないでしょうが、「一日一善のコマーシャル」に出ていた人です)の例が書かれていました。
笹川さんは相当古い家に住んでおられて、見るに見かねて家を新築してあげようと好意の申し出をする人が何人もいたのですが、すべて断っておられたそうです。
笹川さんは、自分の運の動きを察知する、鋭いカンの持ち主であったそうで、今、家を新築しては運が悪くなり大変なことになると、本能的に感じておられたのだと書かれていました。

それと対照的に、ロッキード事件で逮捕された児玉誉士夫や小佐野賢治はともに、この事件発覚の直前に豪邸を新築していたそうです。

次は、この本に載っていた松下幸之助先生の逸話です。
先生が、ナショナル(今のパナソニック)の本社を新しく建設したいと、易学の大家に相談したのです。
すると、その易学の先生は、「その方角は鬼門で、そこに建てると苦労するからやめなさい」と助言したのです。
先生は、一晩寝て考え、「苦労するぞと言われたんだったら、自分はひとつ、その苦労をしてみようじゃないか」と決心して、結局本社を、その地に建設することにしたそうです。それが、現在の門真かどまにある松下電器の本社です。

だいたい、大阪から京都の方角は鬼門とされてきました。
ですから、その方向に路線を持つ京阪電車の沿線は発展が遅れたのです。門真はこの京阪沿線にあるのです。

藤田先生は、鬼門を嫌うのではなく、「鬼門だから一生懸命やろう」と覚悟を決めれば、必ず鬼門の神さま(金神さん)が愛してくれ、援助してくれるようになると言っておられます。

<土地を買う時は、鳥がちゃんといてさえずっている、犬がそこら辺でいつも遊んでいる、ネコが安心して寝転んでいるというようなところは大丈夫です。動物が好む土地・場所は必ず栄えます>と書いておられます。 
動物は、本能的に安全な場所、癒しスポットが分かるのです。

また、<偶然にスッと話が湧いて出たように、ポッと買った土地、そういうのがいいのです>と言っておられます。

<お互いの信頼関係を決して裏切ってはならない>と書いておられて、本田宗一郎氏と食事をした時に聞いたという話を紹介しておられます。

「石油ショックで部品調達に苦しんだ時も、ウチは困らなかった。なぜなら、ウチは仕入れ値が安いとすぐ取引先を変えてしまうようなことはしてこなかったからだ」 

その時点では、損しているようであっても、そういう信頼(徳)関係を築いているが、後々生きてくるんだということですね。

最後に、私がなるほどと思った言葉を列記しておきます。その言葉の意味を考えて、応用出来るものがあれば、試してみてください。

<自らの運を直感するカンをみがくには、「ゆとり」が大切。色目、欲目でみるとカンが鈍る>

<凝り固まったら可能性もなくなってしまう>

<ヤキモチは運を悪くする>

<思いもよらない人のアドバイス(なにげない言葉)を大切にする(それは「神の声」かも知れない)>

<相手に求めるより、自分が変わってあげる>

<結婚しない息子、娘がいれば、家に年中大工さんを入れる。つぎはぎだらけの、ぼろ雑巾のような家になってもかまわない>

<不運続きの工場や事務所なら、まず入り口のドアを変えてみる>

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