神さまのえこひいき

しあわせ通信(毎月1日・15日更新)

本記事は「しあわせ通信196号」の内容を再編集して掲載しています。

『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』(サンマーク出版、八木龍平)という本が、なかなか面白かったので紹介します。

八木先生は霊能者なのだそうですが、社会科学系と思われる博士号をとっておられ、インターネット関係のリサーチのようなお仕事をされている(た?)そうで、神道系の人によく見られるような、周りが見えなくなる「入れ込みタイプ」の人ではないので、この本は抵抗感なく、楽しく読めました。

私は禅からこの世界に入門したので、神道についてはあまり知識がないので(それなのに、修行中に得た体験やメッセージ、インスピレーションは神道色が濃いものなんですけれどね)、なるほどそういうことだったのかと感心したり、共感出来るような内容も多くあって、とても勉強になりました。

八木先生は、神さまとお付き合いするコツは、心に「スキマ」をつくることだと言っておられます。
その「スキマ」をつくるために、お祓いをしたり、祝詞をあげたりするのだそうです。

参拝の際、決められた作法に従って、淡々と行動する(ルーチンワーク)というのも、心に「スキマ」をつくるための手段ですね。

メジャーのイチロー選手やラグビーの五郎丸選手が、打席に入る前、キックする前、一連のルーチンワークをされるのも、心に「スキマ」をつくるためのものです。

この心の「スキマ」こそが、神さまが宿ることが出来るスペースなのです。

大祓詞おおはらえのことば』に、「あめ御蔭みかげ」、「御蔭みかげ」とあるのがそれで、「御蔭」とは「御殿」のことで、「天の神さまが降って宿ることが出来る心のスペース」が「天の御蔭」で、「生命エネルギー()が降って宿ることが出来る心のスペース」が「日の御蔭」です。

心に「スキマ」がない人というのは、心配や雑念で心がいっぱい、いっぱいになっている人や、何かの妄執に取り付かれて「入れ込んで」しまって、外の事に目が届かなくなっている人ですね。

そんな状態の人は、神さまがいくら援助してやろうと思われても、心に「スキマ」がないので宿れないし、その人のために神力を発揮することも出来ないのです。
神さまが宿るから「神力」が発動出来る、つまり自分持ちの能力をはるかに超えた力を発揮出来るというわけですね。

「スキマ」が、神力発動の「スイッチ」になるというわけで、つまり「スキマスイッチ」ですね、と上手に駄洒落ダジャレっておられて、八木先生の心の「スキマ」には、「駄洒落の神さま」も宿っておられるようですね(ちなみに八木先生は関西人です)。

つまり、八木先生のおっしゃる「スキマ」は、仏教でいう「無心」や「空」と同じもののようです。

八木先生は、お得意のリサーチで、人が神社に年間に参拝する回数と、その人の幸福度の関係をアンケート調査されたそうで、その調査によると、年間の参拝回数と幸福を感じている度合いは、明らかに相関関係があって、参拝回数が多い人ほど、しあわせを実感しているという結果が出たのだそうです。

ただし、幸せ度は、年間参拝3~6回の人がピークで、7回を超えている人の幸福度はガタンと落ちてしまうそうです。
これは、「神さま事であっても、入れ込んだらダメよ、心に「スキマ」がなくなってしまうからね」ということなんでしょうね。

八木先生が友達と、ある神社に参拝された時、神前で祝詞を大声で、身を霊動で震わせながら称えている人がいました。
その人の横に、八木先生の友達が立って、さりげなく、淡々とお参りされると、「神風」がサッと吹いてきて、その友達を包んだそうです。
ところが、大声で祝詞を称えている人には、その「神風」はちっとも吹かず、むしろ避けて通るように見えた(感じた)そうです。
神さま事に、マニアックに熱心すぎると、神さまから嫌われることになるのですね。

八木先生は、神社の鳥居をくぐってからの「参道さんどう」は、「産道さんどう」で、拝殿へ向かうことは、産まれる前の自分に帰ることなんだとおっしゃっています。
そして、神前では、産まれる前の、つまり「あの世の私」と「この世の私」が対面し、無意識のうちに対話し、情報交換するのだそうです。

私の場合がそうでした。
伊勢の内宮さまの神前で祈った時、実はその場で「この世の私」と「あの世の私(天の次元の私)」が対面して、「この世の私」が、すっかり忘れていた「私がこの世で果たすはずであった使命」を思い出させてくれたのですね。

しかし、それは無意識の層での対話で、その使命が、次々形の世界で実現するようになって驚き、はじめて、私の、この地上世界での本来の使命(天命)が「筆の御用」であったと、意識化出来るようになったのです。

このように、神社の神前で、「あの世の私」と「この世の私」が対面して、「この世の人生の軌道修正」が行われているとしたら、その神社の御祭神は、その時、いったい何をなさっておられるのでしょうか。

それは、「あの世の私」と「この世の私」がうまく対話出来るよう、「場」のセッティングをして下さっているのです。

基本的に、神さまは「結び」の働きをなさるのです。
「あの世の私」と「この世の私」を結ぶのもその働きのひとつだし、AさんとB君を結んで結婚させるのも「結び」だし、事業が発展するためのキーパーソンと出会うよう仕組んで、結んでくださるのも神の働きです。

あっちの世界(高天原)では、神さまと「あの世の私」は盟友で、「地球次元における人類の進化を達成させよう」いう目標を共有して連帯し、共同作業をしているのです。
ですから、当然のこと、神社の神さまは、「あの世の私」と「この世の私」を結んでくださり、「人生の軌道修正」ができるよう協力してくださいます。

神社の御神体は、たいていの場合、「鏡」ですね。
なぜ鏡のシンボルで神さまを表現しているのかというと、「神さまは真実を映し出す働きをなさる」からです。
「この世のあなた」が神前に立たれた時、その「神鏡」に、あなたの真実の姿、「あの世のあなた」が映し出され、「この世のあなた」が、その「あなた本来の姿」を確認出来るのです。

しかし、あの世で神々と相談して、今度の地上世界降臨では、こんな役割を果たすぞと決意してこの世に生まれてきた、その使命(天命)を知りたいなんていう思いで神社に詣でる人はほとんどいないでしょう。

たいていの場合は、なんらかの問題が生じて、それを解決したいという時に参拝されますね。

それはそれでいいのです。
実は、そういう問題が生じてくることこそが、神さまのねらい目で、その問題発生をチャンスとして、神様はあなたを引き寄せよう、あなたと縁を結ぼうとしておられるのです。

そもそも、何か問題が発生するのは、「あの世のあなた」の意向と「この世のあなた」の意向との間にズレが生じた時です。

あなたが、天界で神々と相談して決意した「地上世界で果たすべき使命・役割(天命)」を忘れた時、ブブーと警告音が鳴って、「脱線中です、脱線中です」と伝える天の声が「問題発生」なのです。

問題が生じて、「苦しい時の神頼みだ」と、神前で祈る時、神さまは、あなたが「あの世の私」と対面してコミュニケーションできるよう、「場」を提供してくださるのです。

しかし、「意識のあなた」をすぐ改心させるのは抵抗も大きく、副作用も大きいので、まず「潜在意識のあなた」から修正して下さるのです。

「意識のあなた」は、何となくすがすがしいなあ、広々とした世界に出た気分がするなあというだけでいいのです。
それだけで、いつの間にか「問題」が解決したり、「問題」自体がなくなってしまったりします。

しかし、問題が解決してもそれでお仕舞いではないのです。
あなたが、「あの世のあなた」が決意した天命(この世で果たすべき役割、使命)を思い出し、その役割を受け入れる覚悟を決めない限り、何度でも「問題」が再発してきます。

祈りとは、神さまとあなたのコミュニケーションで、そのコミュニケーションの祈りには、A面とB面があると八木先生はおしゃっています。

祈りのA面は、こうありたいという自分の意思を、正直に神さまに伝えることです。
祈りのB面は、神さまからの、こうしてほしいという頼みごとを引き受けることです。

金光教祖は、「神あっての氏子、氏子あっての神、あいよかけよで立ち行く」とおっしゃっておられます。

「この世のあなた」は、ひ弱な存在です。神様の力を借りなければ、何も出来ない「こまい」存在です。
自分に何かが出来ると自負して、力んでいる間は、まだまだ問題が続きます。

自分は弱い存在だ。
何も出来ない赤ちゃんのようなもので、ただ神さまに向かってワンワン泣くことしか出来ない幼い存在なんだ(非力ひりき)という自覚が生じた時、ようやく、あなたの心に「スキマ」が出来るのです。
そうすると、「神力(日力ひりき)」が発動します。それが、「神あっての氏子」ですね。

神さまには、地上世界のボディがありません。「あなた」を通してしか、神の意思を形の世界に実現してゆくことが出来ません。

しかし、あなたの心が、力みと自負でぎっしり詰まっていたら、つまり「スキマ」がなければ、神さまはあなたに宿ることが出来ず、地上世界に向けての「神さまの使命(人類の魂の進化を完成させること)」を果たすことが出来ないのです。それが、「氏子あっての神」ですね。

「あいよかけよ」というのは、共同作業の際の掛け声だそうです。「ワッショイ、ワッショイ」ですね。
あなたや、その他の人たち、それに、神さまたち、つまり「あの世のあなた」という神さまも含めて、伊勢の神さま、出雲の神さま、八幡さま、天神さま、稲荷さま、イエスさま、観音さま、お釈迦さま…、みんな一緒に、声をそろえて、賑やかに「ワッショイ、ワッショイ」、人類の進化達成という「金平糖大作戦プロジェクト」を仕上げるために共同作業中なのです。
もちろん、あなたもその「の仲間」の、欠かすことが出来ないメンバーなんだということをお忘れなく。

あなたが、何らかの「問題」を抱えて神社に参拝されます。
もう「問題」が発生しているからには、あなたのいのちには、どこかひずみがあるのです。
ですから、神前でのA面の祈り(こうありたいという、自分の意思を神さまに伝えること)も、どうせドロドロで、濁ったものなんです。しかし、それを恐れてはいけません。

それでいいのです。かっこつけて自分の綺麗なところだけ見せて、神さまと付き合おうなんて思ってはいけません。
あなたが、ドロドロで、ネバネバの状態なんだということなんて、神さまには見え見えなんです。

しかし、神前での祈りを繰り返しているうちに(問題がある時は、毎日でも参拝したほうがいいです。これが「足運び法」ですね。昔の人は「お百度参り」といいました)。

お参りを繰り返しているうちに、神さまによって、あなたはドンドン「祓い清め」られてゆきます。

少しずつ心に「スキマ」が出来、そこで始めて祈りはB面(神さまからの、こうしてほしいという頼みごとを引き受けること)という段階に入ります。

あなたが、ある人生の目標を持って、それを実現するため、繰り返し神社にお参りされるとします。
しかし、その目標は「あの世のあなた」が果たそうとしている使命(目標)の方向と違っているかも知れません。

はじめのうちは、あなたは、自分が思い描く「人生の目標」に入れ込んでいて、神さま(「あの世のあなた」)のアドバイスなんて、耳に入りません。

しかし、そんなあなたでも、神さまは見捨てずに、粘り強く、少しずつ祓い清めて下さり、心の「スキマ」を広げて下さいます。
そうすると、あなたはようやく「聞く耳を持つ」状態になり、「あの世のあなた」の意向に沿った方向の目標を持てるようになるのです。

私は、「あの世の私」の意向に沿って働けるようになって、一気に運命が好転し、しあわせを実感出来るようになりました。

八木先生は「神さまもえこひいきします」と書いておられ、そのひいきの度合いは、「この世の私」と「あの世の私」のシンクロ率で決まるんだとおっしゃっています。確かにその通りだと思います。

最後に、この本に書かれている具体的なアドバイス(あまりマニアックにならない穏当なもの)を並べておきましょう。

① 出張先では、まずその土地の神社にお参りしてご挨拶し、成果が上がるようにお願いする。

その土地や、そこで住まい、生活している人たちは、魂的にその鎮守の神社の神さまとつながり、護られているので、その土地の鎮守の神さまにご挨拶し、おすがりすると、神さまがその土地のモノや人々があなたに協力するように「結んで」下さるのです。

ですから、初めての土地の神社にお参りする時は、出来れば、その土地に住んだり、働いたりしている人と一緒に参拝したほうがいいのです。その土地の人に、あなたを紹介をしてもらうわけですね。

会議や講演の前は、少し早めに会場に出かけて、その会場の机やイスなどに手を触れて、「いつも有難う、今日もよろしくね」と挨拶しておく。

そうすると、感謝と好意の思いがモノに伝わって、そのモノに神が宿ります。
そうなると、神化したモノたちが、今度は好意と善意の念を送り返し、あなたを包み込んでくれることになり、成果が上がる、消耗しない会議、いい雰囲気で有益な講演にしてくれます。

すべて、繰り返し「意」を注いだ対象のモノは、「いのち」を持つようになります。
「いのち」とは、「」なのです。
 
好意の念を注いで大切に扱ったモノは、それがどんなものでも、あなたの「お守り」となります。

「トイレの神さま」という歌が流行ったことがありましたね。
これは、毎日、感謝の念をもって、トイレを掃除するということを繰り返していると、トイレに感謝と好意の意念がこもって神化して、そのトイレに入ると、あなたを好意と善意で包んでくれ、癒してくれるようになるというわけです。

あなたの居室でも、お家でも、大切に扱い、たえず感謝の気持ちを注ぎながらお掃除していると、居室やお家があなたの「お守り」となります。そこにいるだけで、あなたは癒され、元気になります。

③ 取り立てて問題が生じていなくても、年に3回以上は神社参りする。
(1)自分の人生の軌道修正のための参拝(「あの世の私」と結んで下さいます)
(2)家族と一緒に参拝(家族の結び付きを強くして下さいます) 
(3)仲間と一緒に参拝(連帯を強固にし、仲間の共通の目標達成に向けてエネルギーを結集させて下さいます)

以上です。神さまは、特に日本の神さまはやさしくて親しみやすい、お父さんやお母さんのような神さまです。高い世界に君臨して、私たちを支配しようとするような、厳格で残酷な神さまではありません。

ですから、敬遠(敬って遠ざける)していないで、遠慮なく神さまにすり寄ってすがり、何かにつれてお願いし、相談しましょう。

お賽銭も忘れずに!神社も維持するための費用が必要なのです。「払い」は「祓い」なのです。

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