ある禅の会で、こんな質問が出ました。

生物にとって『種の保存本能』が一番根源的な欲望で、人類においてもそうであるはずなのに、どうして戦争があったり、テロ行為が絶えなかったり、互いに殺しあうようなことが起こるのでしょうか?
もちろん、資本主義の経済システムによって貧富の格差がドンドン増大し、そのシステムの犠牲になった人たちが多くいる地域を中心に紛争が生じているということはお分かりだと思います。
しかし、なぜそういう不平等が生じる経済システムが改善出来ないでここまで来てしまったのでしょうか。
そこを、さらに掘り下げて追究してゆくと、すべての人の心の中に巣くっている「恐怖心」こそが、その悲劇の根本原因なのだということが分かります。
人は、ふと目覚めると、だだっ広い宇宙の中を、わずか一点のちっぽけな「いのち」として漂っていたのです。
そして、その個(孤独ないのち・粉のように吹けば飛ぶ様ないのち)のいのちのともし火は、ほんのわずかな宇宙の風が吹くだけでポッと消え失せてしまうほど儚いものなんだと感じ、「恐怖心」が生じたのです。
ですから、いのちの炎を存続させるために、炎のまわりに囲いを設けて、宇宙の風に吹き消される恐怖から身を護ろうとしました。
それでもまだ不安で、いのちの炎を維持するために、出来るだけ多くの燃料を囲いの内側に蓄えておこうと画策しはじめました。
すると、囲いの内側に燃料を大量に蓄えている人と燃料を持たない人の格差が生じてきます。
そして、持てる人は自らの囲いの中に取り込んだ燃料を取られないように護ろうとし、持たぬ人は自らのいのちの炎を維持するために燃料を奪還しようとして、さらに争いがエスカレートします。
持てる人は、さらに防御の囲いを厚く高くして、持たぬ人たちの攻撃に備えようとします。さらに、攻められる前にと先制攻撃を始めます。
持てる者たちも、囲いを厚く、高くしたことによって、日光は差し込まなくなり、新鮮な空気は流れ込まなくなって、守るはずだったいのちの炎がフラフラと風前のともし火のようになってしまいました。このままこの状態が続くと、持てる人も持たぬ人も共倒れして人類は滅亡してしまいます。
以上の暗示的説明で、現在の人類が置かれている状況がお分かりいただけたと思います。
「恐怖心」が、現在の混乱の根本原因で、ついにここまで悲劇がエスカレートしてしまったということも分かって頂けたでしょう。
まず、始めに自我の目覚めがありました。ここまではいいのです。
しかし、その自我が世界や他の人と切り離された個(孤、粉)で、吹けば飛ぶような、ちっぽけな、危うい存在であると見たのは「錯覚」です。
その「錯覚」が個々の人の恐怖心を生み出し育て、今日のような混乱悲劇を引き起こしてしまいました。
本当は、宇宙の風が渦巻いて、宇宙の生命エネルギーを凝縮発火させて、「あなた」といういのちの炎を、この次元の世界に誕生させました。
なぜそんな働きをする宇宙の風が吹いたのか、それは、「あなた」という存在が、人類の進化のためには、どうしても必要なのだと大宇宙(人類の魂)が判断したからです。
だから、あなたを地上世界に生み出すための宇宙の風を吹かせ、あなたという「いのちの渦」を創造したのです。
ですから、宇宙の風が吹けばあなたのいのちのともし火が危ういのではなく、逆に、宇宙の風が吹くから、あなたに常に生命エネルギーが供給され、いのちの渦の回転数は上がり、渦の目(あなたといういのちの意識)はますますクッキリして、イキイキノビノビ活動することが出来るのです。
本当はあなたのいのちの炎を守るための防御壁など不要で、それはむしろ生命エネルギーの供給を妨げるはたらきしかしない代物なのです。
ですから、現在の混乱悲劇を収束させるための根本的な解決は、人類の各人の心に巣くっている「恐怖心」を取り去ることによってもたらされます。
そのためには、自他は分離しており、自分と宇宙も隔絶しているという見方が錯覚であることに、まず気付いてもらわねばなりません。
つまり、自他一体であり、宇宙と自分の間に閉ざされた仕切りはなく、生き通しで、いのちを共有しているのだという「いのちの実相」をまず理屈の上だけでも知ってもらわねばならないのです。
また、坐禅はありがたいもので、そんな「ひとついのち」の理由を説明しなくても、ただ坐っているだけで防御壁が少しずつほどけてくるので、『ああ、そうなんだ。自他一体だったんだ。生き通しなんだ。いのちが通い合っていたんだ』と、次第に実感できるようになってきます。
そして、防御壁がほどけて、生き通し状態になった時の開放感、楽さ加減がしみじみ実感出来るようになります。
そうなると、これこそが、つまり「ひとついのち」こそがいのちの実相だったんだと自覚できるようになります。
しかし、この「ひとついのちの自覚」の普及だけでは、地上に、すべての人が平等に尊敬され、それぞれの人が、その人にふさわしい役割を果たすことに生きがいを持てるような世界は、まだ実現できません。
もう一つ、どうしても必要な自覚があります。
「自他一体なのだから、私に必要なものは何でも、必要な時と場所で必ず供給されるのだ」という経済面の自覚です。
自他一体の悟り、「ひとついのちの自覚」は、このような形で経済面において活用出来なければならないのです。
この経済面における「ひとついのち」の活用が自在に行えるようになった時、人ははじめて「恐怖心」から解放され、それとともに新しい経済システムが提案され、創設されるようになるでしょう。
さて、その「ひとついのち」の経済面での学びが、「心による想いの実現法(心のゴムひも法)」の実習なのです。
私は、はじめ「心のゴムひも法」で、世に出ましたが、その後、「金平糖大作戦」という、人類の魂の進化モデルを提出することが出来ました。
これは、「ひとついのち実現」にいたるロードマップを示したものです。
ある時、ある方から禅の会で質問されました。

<心のゴムひも法>と<ひとついのち>は、どういう関係にあるのですか、どう結びつくのですか。
その時、私は質問に答えられなくて、長らく宿題として、心の中で疑問を温めていました。
そして、今この文章を書いているうちに、その質問の解答を得ました。
つまり、「心のゴムひも法をマスターする事」と、「ひとついのちの自覚を得る事」は、人類の魂を進化させゴールに向かわせるための「車の両輪」で、ともに、個の孤立という錯覚、悪夢から目覚めさせ、「恐怖心の克服」を得させるものなのです。
そして、この「恐怖心の克服」は、必ず新しい世界にふさわしい、万人が平等で、温かくて、豊かな経済システムを生み出すことになるでしょう。
まず当面は、すべての人の「恐怖心をほどくこと」、それが我々が目指す目標となりますね。