面白い本に出会ったので、紹介しておきましょう。
それは、『常聖翁遺訓 ツキの呼び込み方 運が悪いと嘆くだけのあなたへ』(杉尾常聖 主婦の友社)という本です。
著者の杉尾常聖先生は、なかなかユニークな方で、ツキとはどういうもので、どうすればツイタ人生が送れるのか、自らの体験から編み出した方法も含めて示して下さっています。
先生の経歴は、この本に書かれている<著者紹介>の内容と、本の中で書かれている体験談のことしか分かりません。とりあえず、まず<著者紹介>を転載しておきます。
杉尾常聖:1924年、宮崎県生まれ。学徒動員で海軍神風特攻隊に所属するも終戦となり復学。大学卒業後、6年間、鹿児島県大隈半島の原始林にこもる。その間に植物・植生に興味を抱くようになった。京大農学部の瀬川弥太郎教授に師事したのち、米国ロサンゼルスのインターナショナル・ユニオン大学大学院で社会心理学研究生としてリズム思考論の実験・研究に当る。同大学農学部教授、同大学農林土壌研究センター所長等を歴任して帰国。スギオ精神科学研究所、スギオ亜熱帯果樹研究所などを設立して活動。
1985年、アメリカWUM財団より世界文化平和賞を受ける。農学博士、心理学博士。1998年没。
『常聖翁遺訓 ツキの呼び込み方 運が悪いと嘆くだけのあなたへ』
経歴の中の、6年間原始林にこもったというのが面白いですね。これは以下のようないきさつであったそうです。
杉尾青年は、「君は末期がんである、胃と肺がおかされている」と宣告を受けます。絶え間なく襲ってくる痛みに、モルヒネなしには一日もすごせない有様でした。
すっかり、人生に絶望して、もう自らいのちを断ってしまおうと思い、戦争末期に所属していた特攻隊基地があった大隈半島の鹿屋の原始林に入り込んでいきましたが、なかなか死に切れず、三日間山中をさ迷っていたのでした。
すると、ついに道は行き止まりとなり、目の前に大きな滝が現われました。そこから先は通行不可能、疲れ果ててへたへたとその場に座り込んで『ここらで幕にするか』と覚悟を決めました。
すると、ふと気づいたことがあります。山に入り込んで三日間、一度も胃が痛まなかったのです。
そうすると、現金なもので、急にお腹が減ってきました。そこで、流れの中で揺らいでいた青い川藻をすくって食べ、そのまま岩の上でぐっすり寝込んでしまいました。
目覚めた時は、もう夕闇の中でしたが、あせりも恐怖もなく、古木も草も水の流れもまるで自分の仲間のように思えてきたのです(ひとついのちの自覚ですね)。こんな落ち着いた気分になれたのは、久しぶりでした。
『なんとか山に住めないものだろうか。ひょっとしたら、胃がんも胸も治るかもしれない』とこの時ふと思いつき、それから6年間を山中ですごすことになったのです。
この6年間の貴重な原始林での生活体験が杉尾青年の死病を癒し、同時に大自然のリズムに合致した生き方をすれば、人間として最良の生き方ができるということに気づかせたのです。
杉尾先生は、自ら行った実験結果から、ツキが生まれるのは脳波がミッドアルファ波(9~12Hz)の状態になったときで、特に11.7Hzを中心に約1秒間隔の揺らぎ状態に入った時にツキを引き寄せる何事かがセッティングされたり、必要なアイデアがひらめいたりすると述べていらっしゃいます。
そして、ツキの状態に入った時には、次のような心理状態になると列記しておられます。
① さわやかで満ち足りた気分、どこかスカッ、カラッとした感じ。
② 「よし、やるぞ!」といった積極意欲が自然に持てる。
③ すべてのものが光り輝いて見える。
④ 宇宙や自然との一体感。すべてのものが、そのまま「美しい」。
⑤ 「こうなる」、「こうする」と近未来の出来事への判断力が出てくる。
この心理状態は、私が坐禅している時に体験している状態そのものです。もちろん、いのちは括り付けではないので、時によって心境に上下があり、強弱はありますが、私が坐禅をはじめると、いつもこんな状態に入ります。
そして、一度坐禅によって、このような「いのち本来の姿(ひとついのち)の自覚」が得られれば、世間に出てアクセクして、いのち本来の道から逸脱しそうになっても、直ちに違和を感じて『これはいかん!』と気づき、すぐ本来歩むべき道に復帰できるようになってきます。
このように、杉尾先生が<ツキを引き寄せる心の状態>とされているのは、私が<ひとついのちの自覚>と呼んでいるものと同じ状態のようです。
そうしますと、こういうことですね。坐禅というものを実践して、それが日常の習慣となる、というほどになってくると、その心理状態が、自ずとツキを引き寄せてくれるようになるということですね。面白いものすね。
私も、何かのために坐禅したというのではなく、ただ坐れば心が晴れてホッと安心できるので坐禅というか、「坐り」を習慣としてきただけのことなのですが、坐禅をはじめてからの人生は、明らかに次々とツキを引き寄せていますね。私は生まれつきの運勢では、「破滅型」の人間であったのですが、坐禅によって「創造型」の人間に変身出来たと思います。
ツキを掴むには、目の前の現象に振り回されずに、ただ坐禅すればいいだけのことなのですが、杉尾先生はやさしい方なので、次のような心構えのアドバイスをして下さっています。
ツキの状態に入る前には、たいていの場合、その前に「よくない状態」が現われる。
人間には恐怖心があるので、何もなければ現状維持していたいのです。ですから、いのちの本能(根源意志)が、その人をさらにステップアップさせたい時は、まずその人の現状を突き崩すことから始めるのです。
ですから、この「よくない状態」は、ワンランク上の「よい状態」に向かってスタートするために踏むべきステップで、そのために自らの意志で創りだした状態なのに、そのことに気づかず、「これは困った、どうしよう」などとうろたえるのです。
さて、では「よくない状態」に入っている人がそこで持つべき態度や対応はどうあるべきなのか、どういう態度を保っていれば順調にツキの状態に入ってゆけるのかを杉尾先生は列記して下さっています。
① 欲をかかない
② 結果を悪く考えない
③ 勘を働かせる
④ 性根をすえる
そして、杉尾先生ご自身の体験を紹介してくださっています。
先生がハワイに渡って1年ほど日本を留守にしていたとき、ある男が先生の印鑑を偽造して、銀行から300万円を勝手に借り、しかも間もなく亡くなってしまったのだそうです。
帰国した先生のもとに銀行の人がやってきて「返済してください」といいます。「そんな金、借りた覚えがない」、「じゃあ、先生、訴訟なさったらいい」と言い争いになりました。
先生にとっては、はなはだ理不尽で、迷惑な話ではありますが、訴訟などするのも面倒なので、月に15万円ずつ返済することにしました。
すると、銀行の人がまたやって来て、「先生、100万円だけ出してくれませんか。事情はわかっているので、そうしてもらえれば、あとはまけて差し上げます」といいますから、その通りにしました。
しばらくして、また銀行の人がやってきて、「今日はお礼に伺いました。こちらの申し出を快く受けていただきありがとうございました。つきましては、上とも相談しまして、先生にプレゼントを差し上げます」といって、山を一つくれたのです。面積は一町歩あるのですが、辺鄙な土地にある山なので、ほとんど価値がない山でした。
それでも、くれるというのを断るのも悪いので貰っておきました。
すると、まもなくその山の麓にオートキャンプ場ができることになり、もらった山の価値が10倍にもなったのです。
もしも先生が訴訟していたら、銀行は決して山をプレゼントしてくれなかったでしょうね。身の覚えのない借金ながら、先生が相手の意向を尊重する対応をしたことが幸福な結果を招いたということでしょう。
先生は次のように書いておられます。
一番いけないのは、「たいへんだ」、「どうしよう」とバタバタすることです。目の前にあるのは芋虫かもしれないが、辛抱していれば美しい蝶に変身するかもしれない。だが、芋虫の段階で「気持ちがわるい」と捨ててしまえば、蝶には出会えない。多くのツキに恵まれないひとは、たいていこれに類することをやっているものです。
先生は、この本の中で、6年間の原始林生活で体得した[ツキを獲得するための七つの超ライフスタイル]の七か条を紹介して下さっています。すべてをこの通りに実践するというのは困難かもしれません。本当は坐禅だけで十分なのですが、この七か条の中に興味がある、やってみようという項目があれば試してみたらいいですね。
① 髪の毛と爪をできるだけ伸ばせ。
② 裸足で暮らす習慣を身につけよ。
③ 古木を見つけたら抱きついて話を聞け。
④ 雨にはできるだけ濡れるようにしろ。
⑤ 石を拾ってきていつも触っていろ。
⑥ 海へ行って大きな波をかぶってこい。
⑦ よい音楽を聴け。
①と②について
髪の毛や爪は大自然(宇宙空間)とつながるアンテナで、足の裏は大自然(大地・地球)と交信するアンテナなのだそうです。
髪の毛や爪、足の裏の細胞が大自然と互いの情報を交信しあうのだそうです。
アタマはそんなに賢くないので、それらの情報はほとんど認識できません。しかし、それはそれでもいいのです。
体中の細胞がそれらの情報を共有して、危機を避けたり、しあわせな出会いをもてたりするという、いわゆるツキの状態に、その人を持っていってくれるからです。
髪を長くしたり、爪を伸ばしたりすることは、杉尾先生のように精神力が強い人の場合はいいのですが、自己否定の傾向が強い人は、周囲の乱れた波動を優先して引き寄せてしまう恐れもあるのです。だから、出家すれば頭を剃るわけです。
だから、髪の毛や爪を過度に長くすることはお勧めできませんが、裸足で大地を歩くことはたまにやってみられたらいいと思います。古代のインドの禅道場には必ず「経行処」という施設があって、裸足できれいに掃き清めた大地の上を歩く歩行禅をやっていたそうです。足が地に付くという経験はとても大切な気がします。そのうち、全国各地に「坐禅道場」が出来たら、そこに「経行処」も造って欲しいですね。
杉尾先生は、裸足で生活するようになって、水脈や温泉の湯源の場所を直感的に知ることができるようになったそうです。それで、困っている人から何度も感謝されたそうです。
③と⑤について
地球のやってきたヒトの魂は、まず「岩石ステージ」で、今・ココに意識をしっかり定着させられるようにトレーニングしました。
気に入った石(パワーストーンや宝石でもよい)を身につけて握ったり、なでたり・・・していると、フラフラしている意識を、しっかり<今・ココ・わが身>に引き戻せるようになります。
次にヒトの魂は「植物ステージ」に入って、「どこまでも高く伸びてゆこう、拡がってゆこう」という「いのちの根源的成長意志」を定着させられるようになりました。
植物と交流していると、その「いのちの根源的成長意志」を思い出し、枯渇した生命力を復活させることができるのです。
生命力が枯渇したなあと感じたら、森林に出かけて、木々が放つ波動を浴びているだけで、元気を回復することが出来ます。
⑥について
海は生命の母体です(海=産み)。
海の波に身を任せているだけで、魂の汚れを祓って、新しいイノチを復活新生させることが出来ます。これが「ミソギ」なのですね。
④について
雨は海から蒸発した水蒸気が水に戻って降ってくるものです。
ですから、雨水には海の波動が保存されています。雨水をバケツに貯めておいて、手を入れてみられると、水道水との違いがはっきり分かります。
雨水は、生命力を賦活してくれる水なので、濡れることを嫌わずに、雨の中を、時には歩いてみられてもいいですね。