<4つの信条>-その2-

しあわせ通信(毎月1日・15日更新)
<「お日さまのなかま」の4つの信条>
  1. 明るくて、温かくて、潤いがある「安心できる場」を作ろう

私は、この第1条が、遠い未来までつながってゆく、一番大切な条目であると思っています。

教祖が亡くなると、途端におかしくなったり、派閥の抗争が顕在化したり、一気に衰退し始めたりする教団が多いですね。
「30年一世代」といって、どんなに栄えている企業や宗教でも、方向性に不純なもの(エゴ)が混じっている組織は30年保てずに衰退してしまうものです。

若い人には目先の事しか見えないでしょうが、私のように二世代(60年)を優に越えて生きていると、多くの組織や教団の栄枯盛衰を見届けることが出来たので、その企業や教団の基本理念の正誤が、長続きする組織、すぐ衰退する組織、というハッキリした結果を生み出すということがよく分かります。

たとえば、「明るくて、温かくて、潤いがある、安心できる家庭」という場を、ご先祖さま方が苦労して築いてきた家系(ご先祖様がしっかり徳を積んで下さった家系)に属する家庭では、親が特に子育てにお金をかけたり、才能を伸ばしてやろうと必死にならなくても、子供は家庭の<ホッと安心できる、あっかい雰囲気>につつまれて、その子に一番ふさわしい方向にスクスク順調に育ってゆき、自身も当たり前のようにしあわせな家庭を築いてゆきます。

植物の種を植木鉢に蒔いたとします。その種が発芽して順調に育つためには、「光」と「適切な温度」と「水分」が必要ですね。このように、人が順調に成長してゆくためには<明るくて(光)、温かくて(温度)、潤い(水分)がそろった「安心できる場」>が必要なのです。

取り立てて特別な才能がなくても、人は<安心できる場>に入ることさえできれば、自分ですら気づいていなかった潜在能力が自然と発揮できるようになって、自分も人も驚くということになります。

坐禅会に参加された皆さんは、一様に「ホッとしました」、「今まで何を心配していたんでしょう。問題なんて実はなかったんだということが分かりました」などと、緊張がほどけた「ゆる~い表情」をしておっしゃいます。
坐禅会にいらっしゃってみんなと一緒に坐禅さえしてくだされば、自然と<明るくて、温かくて、潤いがある「安心できる場」>に入ることができるのです。そうしたら、参加した方は、無理な努力なしに、もっとしあわせになれる方向に、人生の舵を切ってゆけるのです。

坐禅にウマイ、ヘタはありません。ただ坐禅という、何千年にわたって継承されてきた形(ポーズ)を信じて、また坐禅会という「場」の力を信じて坐ってくだされば、自然とイノチが整い、運勢も好転するのです。

福岡の坐禅会は、もう二十数年間も続いています。毎月一回の坐禅会で、効果を狙わず、ただ淡々と、黙々とやり続けてきただけなのですが、<ホッと安心できる場>は確実に育ってきていると思います。次第に効力を発揮出来る「場」になっています。

ある方が報告して下さったのですが、お腹が急に痛くなって我慢できなくなり、ついに救急車を呼ぼうということになったのですが、その時、なぜかその方は『坐禅会!』と念じたのだそうです。そうすると、一気に痛みが取れてしまった。本人もご主人も信じられないことが起こったと驚かれたそうです。<坐禅会のホッと安心できる場>に『坐禅会!』と念じることによってアクセス出来たので、「安心できる場の治癒力」が働いたのですね。

また、「坐禅会に参加しようと車を運転している時は、赤信号で停まることがない。『ああ、ダメか』と思うような時も、その信号にたどり着く前に青信号に変わるのですよ」、とおっしゃった方もいました。
これは、「スムージング効果」ですね。坐禅会に参加しようと思った瞬間に、すでに<坐禅会の安心できる場>につながっているので、現象界でもギクシャクがなくなって、スムーズに事が運ぶようになるのです。

また、ある女性が、膝が悪くて、坐禅会の会場が二階だったので、這うようにして会場まで来られたそうです。
ところが、坐禅会で大敬の話を聞いたり、みんなで坐禅したりしていて、ふと気が付くと、膝がちっとも痛くないのです。坐禅も正座も楽にできていたのです。
それで、坐禅会が終わった後に、「先生、奇跡が起こりました!」とそんな驚きと喜びの体験を報告して下さった方がいました。これも、「安らぎの場」の治癒力が働いたのですね。

シェルドレイクという研究者が実験結果を報告していますが、「形態形成場」という、ある形態を現実化してゆく働きがある「場」が、ある行為を繰り返してゆくうちに形作られてゆくことが研究と実験の結果分かったのだそうです。

たとえば、50人ほどの人を無作為に集めて、ある問題を解かせる。そして、別の日にまったく別の場所で、前回の参加者とは全く関わりのない人を50人集めて同じ問題を解かせると、2回目の方が正答率が上がるのだそうです。テストを繰り返すほど正答率は向上してゆくのだそうです。

つまり、「ある問題に正解する」という「場」が次第に形作られてきて、同じ問題を解こうとした時に、その「場」にアクセス出来るようになって、正解率が増すことになるのでしょう。

船井幸雄先生が、講演などでよく紹介しておられたのは、「幸島の百匹のサル現象」です。
幸島にいるサル群の内の一匹が海水にサツマイモを浸して食べるということを始めた。すると、仲間のサルがそれをマネし出して、そのようにして食べるサルが、百匹を越えた時点で、遠く離れていてまったく関わりのないはずの別の地域(他県)のサル集団も塩水にサツマイモをつけて食べることを始めた、というのです。

つまり、「塩水にサツマイモをつけて食べる」という「行動形態」の「形成場」が、沢山のサルの行為によって次第にしっかりしたものになったので、まったく交渉のない別の地域のサルもそんな行動形態をマネしだしたということなのですね。ということは、この「場」が有効性には距離は関係ないということですね。

「場」を形成するということに関しては、偉大な先輩がいらっしゃいます。
 
昔々、法蔵ほうぞう菩薩という方がいらっしゃいました。

地上世界は泥沼のような世界で、その環境にどっぷり浸かり込んでしまった人々は、道を求めよう、魂を成長させようとしても、汚泥に足をとられて、ちっとも前進出来ないでいる。

そんな人々の厳しい、悲しい現状を観察して嘆いた法蔵菩薩は、「極楽浄土」という「安らぎの場」を作って、人々がもっと楽に魂進化の道を歩めるようにしたい、そんな「浄土」という「理想の魂教育の場」を創りたいと強く念願したのです。

そこで、『こんな特長を備えた浄土にするぞ』という48か条の目標を立てて、そのために、何度も転生を繰り返しながら修行を続けたのです。 

そして、ついにその極楽浄土は完成し、自身は阿弥陀仏というお名前の仏様となられたのです。

この神話は、浄土系の経典群(『無量寿経』,『観無量寿経』,『阿弥陀経』など)に説かれています。
 
つまり、「安らかな場」さえ形成されれば、その「場」の力によって人は自然に救われる、学びの道に入れるというのですね。

法蔵菩薩は死後「極楽浄土」に行くための条件としては、「ナムアミダブツ」と称えればいいとされています。

私たちの仲間の場合も、<明るくて、温かくて、潤いがある「安心できる場」>を育てて、大敬がいなくなっても、そんな有難い「場」に入ることが出来るということにしておきたいと思うのです。

そのためには、浄土系の求道者は「お念仏」を「極楽浄土」の扉を開けるキーとされるのですが、私たちは、死後ではなく現世で、お念仏ではなくて「坐禅」をわが身で組むことをキーとして「安心できる場」に入れるようにしたいのです。

幸島の百匹のサル現象でも分かるように、禅寺でやるような厳しい、ピリピリした坐禅ではなくて、私たちがやっているような、ホッと気がぬけるような、身心がほどけるような安らぎの坐禅を繰り返し、さらに出来るだけたくさんの仲間が参加して安らぎの坐禅を実践してゆくことによって、「安らぎの場」がドンドン成長してしっかり形成されてゆくのです。そして、その「場」が、時空を超えて効力を発揮出来るようになります。

ですから、「坐禅会運動」というものを始めたのです。全国の出来るだけ多くの地域の人に「安らぎの坐禅」を組んで頂きたいのです。

「いや、私には坐禅会を開いて人を導くことなんてとても出来ない」などと勘違いしなくてよいのです。あなたがヒトを導くのではなく、私たちの仲間のご本尊は「坐禅」で、あれこれ教えたり、説明したりしなくても、ただ日を決めて集まって短時間でもいいので、一緒に坐禅して、坐禅が終わったら茶話会をしてくつろいでいれば、誰でも自然とホッとして安らかな気持ちになれる。そうすると、なぜか身心の調子がよくなり、運命も好転するようになるのです。

月に一度の坐禅会を続けてゆくうちに、その坐禅会の「場」もしっかりしたものになってゆきます。そして、イノチの車輪が、その月1つきいちの坐禅会を軸にして、順調に回転して、スムースな人生が伸びてゆくようになります。

しかし、急に坐禅会を始めなさいというのもさすがに無理なので、はじめは一人で坐禅をするという形でも参加出来ます。
しかし、一人だけ安らげばいい、しあわせになれればいいというのは、小乗的な、仙人的な、インドのヨガ行者的な修行で、それで終わってしまうのは惜しいです。

今は一人で坐っていても、いつの日かきっとたくさんの仲間を引き寄せて一緒にこの「安らぎ」を得させてあげたいという大乗菩薩の誓願を胸に秘めて、今生では一人坐りで終わっても、いつの世でか大乗の菩薩として、仲間を呼び寄せて坐禅会を開きたいという志を持てる方は坐禅会運動に参加できます。

参加したい方は、「立花大敬青空ひろば」というブログの事務局にメールしてください。坐禅会の名称と活動地域を連絡して、大敬が承認すると仲間に入ることができます。

坐禅会運動の仲間に加わると、希望する方は「ひだまり塾」というチャットコーナーがあって、そこで皆さんが話し合ったり、アドバイスをもらったり、大敬に質問したりして学び合うことができます。「ひだまり」という名前のように、全国から多くの方が集い、安らぎくつろぐ「ポカポカ縁側」のようなあったかい場になっています。

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