「問題なし、差し支えなし」

しあわせ通信(毎月1日・15日更新)

これは以前書いた文章です。しあわせ通信にも載せたはずですが、初めて目にするという方も多いでしょうし、まだ本にもなっていない?と思うので、ブログで紹介して、すでに読んだ方は復習の機会として頂きたいと思います。

最近思い付いた「想いの実現法」を紹介しておきましょう。

この方法は、「延命十句観音経を三千回称える」という方法のような、「ある目標を達成するための方法」というよりは、「ある困った問題が発生した時に、問題が解決するか、問題自体が解消してしまう方法」です。

困った事態になった時、その問題を解決しようと、あれこれ対策を練りますが、その行動がますます事態をこじらせてしまうということが、往々にしてありますね。そうなりがちな、「まじめな困ったちゃん」が、どの職場にもいらっしゃいますね。「何もせんでいいから、お前はじっとしとれ!」と思わず怒鳴りたくなります。

なぜ、そのように困った事態を増幅してしまうことになるのかというと、その人が、『これは困った。なんとかしなくちゃ』と、「心」に『困った、困った』という想いをますます強く刻み込み、これからやって来る世界に「困った」が増幅された事態を描き出してしまうからです。

それはあたかも、時空スクリーン上の「困った状態」という映像を見て、その「困った」を消すために、スクリーンを消しゴムでゴシゴシしたり、その「困った光景」に手でフタをして見えなくしようとするような行為です。

消しゴムでゴシゴシしても、手でフタをしても「困った光景」は消えませんね(手の甲にその光景は映ります)。

つまり、スクリーン上(現象世界上)の操作だけでは、「困った事態」を解消出来ず、ますます事態を拗らせてしまうことになってしまうのです。

そんな時は、その人は、スクリーン上の光景に「眼」が固着して、そこから離れることが出来なくなっているのです。

「見ることは創ること」で、見たもの(この場合は「困った光景」)が「心」に刻印され、そのイメージや想いを「種子」にして次の世界が創造されるのですから、これでは、「困った事態」が続き、ますます増幅してゆくことになってしまいます。

では、どうすればいいのでしょう。

まず、現象に固着してしまっている「眼」を現象から引き離さねばなりません。まじめな人ほど、「困った事態」から注意を逸らせることは罪で、四六時中そのことを考えて、ウロウロ効果のない行動を長時間続けることが誠実な仕事ぶりなんだと誤解しているのです。

これは、まじめな日本人が陥りやすい悪循環ですね。要は、事態が解決するか、解消すればいいわけで、そのために費やした精神時間や労働時間は関係ないことなのです。

まず、現象世界の平面からいったん離れるために「坐禅」をします。

ところが、面白いもので、困った事態に遭遇している時ほど、坐禅を始めることにブレーキがかかってなかなか始められません。現象世界の出来事の渦に巻き込まれてしまっているので、その渦の引力から脱出する事が困難になるのですね。

それでも、現象世界の引力に逆らって坐禅を始めることが出来たとします。

はじめのうちは、やはり現象世界の「困った」が忘れられず、アレコレの想いが、頭の中でグルグル回転して止まりません。

しかし、それは想定内のことで、それでもいいから坐禅を続けます。

そうすると、少しずつ想いがほどけてきて、身も心も楽になってゆきます。

楽になったということは、現象世界より高い次元の世界に移動出来たということです。

このような変化が可能になったのは、自分の力でそうなれたわけではなく、「坐禅という形自体」がなぜか、そういう変化を生じさせる「いん」になっているのです。

(註)真言宗や天台宗などには、いろんな手印しゅいんがあります。
たとえば、「合掌」などもその印のうちの一つです。「合掌印」は、「あなたと私はひとつ」、「現在の私と過去のご先祖方はひとつ」、「現在の私と未来に理想が実現して喜んでいる私がひとつ」などということをしめす「印」です。

坐禅は体全体で結ぶ「印」で、その「印」を結ぶと、その印の力でその人を現象世界から引き剥がしてくれ、より高い世界へと移動させてくれるのです。

ここまで来ると、坐禅を始める時は、あんなにイヤイヤだったのに、『ああ、坐禅を始めてよかったなあ』としみじみ思えるようになります。

これまでクヨクヨ思いつめていたことが、何でもない、たわいもない、どうでもいいことのように思えるようになります。

ここまで来た時に、その心境を「心」に定着させるために、『問題なし、差し支えなし』と十回言語化して称えます(声を出して称えても、心の中で称えてもいい)。

「はじめに言葉あり」(ヨハネ福音書)で、言語化しないと、そういうムードでいるというだけでは、「心」にはっきり刻印することはできません。

「心」に刻印出来ないと、「問題なし、差し支えなし」を現象世界に現実化することはできません。

では、この「心」に刻まれた「問題なし、差し支えなし」は、どのような形で現象化するのでしょうか。

それは、「問題が解決する(問題が解決すれば『問題ナシ』となりますね)」という形か、「問題自体がなくなってしまう(問題自体が消えてしまっても『問題ナシ』ですね)」という形かで実現します。

その際、どういうドラマで「問題が解決する」、あるいは「問題自体がなくなってしまう」のかは、天才シナリオ作家である「心」さんが考えてくれることなので、一切お任せしておけばいいのです。
 
この「問題解決法」を思いついたのは、ある方が、すごく面倒な問題を相談してきて、『どうすればいいんだろうか』と、夜中の1時頃まで頭を悩ませていたのです。

そしてついに、『ヘタに悪い頭を使うより、坐禅するべい』という結論に達して、そこから坐禅をはじめました。

はじめは、やはりクヨクヨ思いの堂々巡りをやっていましたが、そのうち、坐禅の力で現象世界から少しずつ離脱出来、ついに『問題なんて本来どこにもなかったんだ』と気付きました。

そして、その自覚が出来たときに、『問題なし、差し支えなし』と、心のなかで宣言していたのです。気がつけば、いつの間にか早朝の4時になっていました。

そして、その日の朝、相談を持ち込んだ方からメールが来て、「クヨクヨしながら寝床にいましたが、なぜか問題なんて、もともとどこにもなかったんだということが突然分かりました。不思議です。これまで何を悩んでいたんでしょう」と書かれていました。

後日、「何時ごろ、そんな心境に変化したんですか」と聞くと、「ハッキリした時刻は分からないですけど、明け方のことでした」という話でした。

この場合は、「問題がなくなる」という形で、「問題が解決出来た」わけですね。いい経験でした。

このように、「問題なし、差し支えなし」と言語化することが大切で、坐禅の習慣がない方でも、仕事の隙間が出来た時、心が空白になった瞬間に、心の中で『問題なし、差し支えなし』と、何度か繰り返すというだけでも効果があるので実践してみて下さい。  

タイトルとURLをコピーしました