ある女性からメールを頂きました。
最近声楽のレッスンを再開されたそうなのですが、これまで学んでいたドイツ・北欧式の唱法と現在学んでおられるイタリア発祥の「ベルカント唱法」がずいぶん違うと驚かれ、その違いは、従来の坐禅法と大敬がやっていて、皆さんにおすすめしている坐禅の仕方との違いにもつながるような本質的なものがあると感じられて、その2つの唱法の対比を列記して送ってくださいました。皆さんにも紹介して、従来の坐禅を「北欧・ドイツ式唱法」、大敬の坐禅を「ベルカント唱法」と重ねて対比を読んでいただくと、坐禅を行じる上でとても参考になると思います。
大敬先生
最近、声楽のレッスンを受けながら、大敬先生の世界とも繋がるところがあって、とても面白く、またとても嬉しく感じています。
これまで、私は歌を歌う時は、腹筋に力を入れて歌っていたのですが、今習っている歌唱法は逆で、むしろお腹の力を抜いて、お腹にあるお花をそっと咲かせるような感覚で歌うのだと教わっています。
すると、不思議なことに、かえって声がよく出るようになるんですね。
今現在、世界で主流の歌い方が、お腹に力を入れて圧力でもって通る声を出すもので、これはドイツ式や北欧式の発声方法なのだそうです。
この方法だと、体の大きな人や肉体が強靭な人の場合は力でもって歌えるものの、体の小さな人には負担がかかり過ぎて、年齢とともに、喉や体を壊してしまうのだそうです。
ですが、古典的なベルカント唱法の場合、ヨーロッパの中では体の小さなイタリア人が、まだマイクなどの音響施設がない時代、いかに体に無理なく自然に歌えるかを研究した結果生まれた唱法だそうで、体のどこにも力を入れず、むしろ歌いながら自分をどんどん周囲の空間に拡大していく意識で歌うのだと教わりました(イタリアでも、現代ではこのベルカント唱法で歌っている人は少なくなってしまったそうですが)。
そしてある方が、現代に主流のドイツ式・北欧式の歌唱法と、ベルカント唱法の特徴を比べると、こんな違いがあるとおっしゃっていたのですが、これが悟りや大敬先生の坐禅、「ひとつイノチ」でありながら多様性を許す世界の世界観とよくマッチしていると感じ、とても面白いなあと感じています。
以下、両方の唱法を比較してまとめてみました。
体の使い方
ドイツ式・北欧式の歌唱法
がっちりと立ち、腹筋に力を入れ、横隔膜をしっかりコントロールしながら歌う。
ベルカント唱法
ほんわりと立ち、体の姿勢は固定せずに常にやわらかく変動している。体のどこにも力を入れず、むしろ緩ませてほどけるように歌う。
声の響きの質
ドイツ式・北欧式の歌唱法
鋭い。暗い部屋に一筋の明かりが差し込んでいる感じ。
ベルカント唱法
やわらかい。暗い部屋が、ほんわりと満遍なくやわらかい明かりに灯され、それが全体に広がっていく感じ。
歌い手の意識
ドイツ式・北欧式の歌唱法
自分がそこにいて、前方など、一方の方向に向かって行く感じ。
ベルカント唱法
自分が四方八方に広がり、周囲の空間と一体になってどこまでも広がって行く感じ。
目指すもの・出来上がり
ドイツ式・北欧式の歌唱法
必要な技術を身につけ、キレイなバラになる。特殊な才能が必要。
ベルカント唱法
声のレッスンを続けながら、どんな声が出てくるのかは誰にもわからない。
人によって、スミレであったりタンポポであったり、バラであったり、それぞれまちまちで、それぞれに合った最適な花が時間とともに咲くようになっている(そのため、誰でも歌える)。
といったような違いがあるのだそうです。
これを知って、毎日声と体づくりの練習を続けているのですが、段々と心も丸くなってくるし、声や音、体というものに対しての意識もまた変わって来て、歌を歌うということだけでなく、本当に悟りやこれから目指す生き方や在り方にも大きく関係しているなあと、日々勉強になっています。
メールの文章はここまでです。いかがですか。大敬の坐禅はまさしくベルカント唱法のような、無理がない、お腹や胸の花のつぼみをやさしくいたわり、つつみこみながら、決して開花を急がず、また大輪のバラを咲かせろなどと強制せず…。
だからこそ、やがて時が来て、その人にふさわしい花、スミレやタンポポやひまわりのような、その人にふさわしい花を咲かせて生きられるようになるのですね。大敬が皆さんにおすすめしている坐禅はそんな坐禅なのです。
また、先ほど「ベルカント唱法」を検索してみたところ、この唱法は母音を大切に響かせるものだそうで、コトダマの学びにもつながってきそうですね。