言霊とは?

しあわせ通信(毎月15日更新)

「言霊」って何なんでしょうか?

「言霊」とは「コトバに魂(イノチ)が宿ること」を言います。言葉に命が宿って、その言葉通りを現実化してしまうのです。つまり「言霊(ことだま)」が「(こと)(だま)」となるわけです。

「言霊」が宿るコトバと、宿らないコトバがあります。

アタマから出る言葉には魂は宿らず、カラダから放たれる、身体性を持った言葉にはイノチが宿り「言霊→事魂」となります。

アタマから出る言葉は、実は世界や人や物事と真向かいに向き合って触れ合おうという覚悟で放たれていません。むしろ、自分が現実に直面しないように、触れ合わないように、自分の身を隠すために言葉が使われていることが多いのです。『ああ、この人の言葉には心が籠っていないなあ』と感じることがありますね。それはその人の言葉がアタマ言葉だからです。

はじめの言葉、超古代の言葉は「身体言語」でした。それが時代を経て「口腔言語」になりました。これは、身体言語を口の中の状態に置き換えて、相応させて言葉とするというものでした。

たとえば、口の奥を使う発音、中ほどを使う発音(舌を使う発音)、一番外側の唇を使う発音というように使いわけました。「ア・カ(奥)・サタナ(歯の裏あたりで舌を使う)・ハ(古代はパ)マ(これらは唇を使う発音)」というように、ちゃんと意図を持って口の奥から外側へ順に分類されて並んでいますね。

それに、破裂音、摩擦音、融合音(舌や唇をくっ付ける音)の別、口を大きく開ける音、口を狭くする音の別などを組み合わせて「口腔言語」が出来上がったのです。

「口腔」のかわりに「手」を使って身体言語に置き換え、相応させたのが密教などで使われる「手印」です。これは、アタマで意味を考えてこういう風に手を組もうなどと決められたものではありません。身体動作の延長が手の組み方に自然に移っていったのです。私も、坐禅の後などに、自然に「手印」が発生して組んでいるということがよくあります。

アタマから出てきた「印」ではなく、カラダから自然に放たれた「印」であれば、その「印」に言霊力(実現力)が宿ります。

しかし、そんな風に「言霊」を説明すると、マジメな人はアタマで真剣に考えてしまいます。そうするとカラダからますます遠ざかってしまいます。「言霊」をまじめに勉強しているのに「言霊力」を発揮して「言」を「事」に変えてゆくことが、なかなか出来ないでいるという人がいるしたら、その人の「言霊」の勉強が、いつの間にかアタマの勉強になってしまっているからです。

なぜ、「身体言語」、またそれに連動している「口腔言語」、「手印言語」などに「言霊力」が宿るのでしょうか?そこがポイントなので簡単に説明しておきましょう。

人には三つの「身(カラダ)」があるのです。それは、「肉体」と「心体」と「世界体」です。「肉体」がある意図(思い)で動くと、それに連動して「心体」が動き、さらにそれに連動して「世界体」が動くので、その人の意図が世界に実現するのです。

古事記では、人の三つの身を神名で表現しています。それは、「肉体(カミムスビ)」、「心体(タカミムスビ)」、「世界体(アメノミナカヌシ)」です。いずれの神名にも「ミ(身)」が含まれていますね。詳しいことは『国生み記伝』(バンクシア・ブックス)などをご覧ください。

ここで「アタマ」と言っているのは、分別・判断する左脳のことです。

左脳はこのように事を分ける、区別してゆく働きをする脳なので、左脳の思い(言葉)は世界と隔絶していているので、その思いのままに世界に伝わって実現してゆくということはありません。つまり、アタマ発の言葉には、「心体」や「世界体」が連動しないので「言霊力」がないのです。

「言霊力」を鍛えたかったら、まず「身体言語」のトレーニングをして、その感覚を養いましょう。

たとえば、私は孫を公園に連れていった時、これまで私が手伝わねば昇れなかったところまで孫が自分の力で昇れるようになったとします。そんな時は、必ずパチパチと拍手して「すごい!」と声を掛けます。これが身体言語です。パチパチ拍手すると、対象者を活性化することが出来るのです。

たとえば、子供がなかなか勉強に取り掛からずにグズグズしていたとします。そんな時、「サー、やるよ」と発破を掛けてパンパンと拍手しますね。この「パンパン拍手」で、子供に状況を変えるためのエネルギーを与えているのです。

また、「サー」は、歯と舌の間を摩擦しながら息が通って、口の外の広い場に出てゆくという音ですね。ですから、停滞していた状況をエネルギーを与えて突破してゆくという言霊力を持っているのです。

古代の人はそんなことは本能的に知っていたのです。ですから、日本の古代人は、尊い方に対した時、パチパチ拍手しました。それは、その尊い方の生命力が増えますように拍手したのです。

古代の中国でもやはり同じように拍手していたようです。ただ、魏志倭人伝には、倭の国では、尊貴な人に向って拍手する風習があると珍しそうに書かれていて、三国志の時代にはもう中国ではそんな風習はなくなっていたようですね。

神社の柏手(かしわで)も実はそんな本能的な身体言語で、神様に柏手を打って、神様に活性化(目を覚まして)していただくという行為なのです。活性化していただければ、願いをしっかり聞いていただけ、叶えて頂けるというわけですね。

また、人と別れる時は、「さよなら」と言うと共に、手を振りますね。「手を振る」と、相手に自分の魂の手が伸びてしっかり結ばれるのです。そうすると、その人としっかりご縁が結ばれます。古代の人はそうであることを本能的に知って、そんな身体技法を使っていたのです。

ですから、大切な人と出合った時、また別れる際などには、大げさなくらい手を振りましょう。私は始めて先生になった時、知った生徒に道で出会ったら大げさなくらい手を振りました。生徒は『変な先生』と笑っていましたが、そのせいで一気に生徒達と心が結ばれました。「ジュンチャン先生ファンクラブ」というのがすぐ結成されました(私の本名がジュンジなのです)。そして、他の先生が教えるより、私が教えると常に10点以上は成績がいいという成果をあげることができました。

身体言語を使えるようになると、そんな風に「言」を「事」にすることうまく出来るようになります。

はじめは、恥ずかしがらずに大げさなくらいのジェスチャー、言語表現から入門しましょう。そのうちに、名人クラスになると、さりげない小声でも、指のわずかな動きだけでも、そこに「言霊力」を籠らせることが出来るようになります。

トータルヘルスデザインさんから出されている『立花大敬音声講義』の第3巻は『コトダマ入門』です。言霊についてさらに詳しく知りたい方は聴いてみて下さい。

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