ありがとう生徒たち!

しあわせ通信(毎月1日・15日更新)

本記事は「しあわせ通信188号」(2016年2月)の内容を再編集して転載させていただいています。

私が61歳の時、今年いっぱいで総務部長を辞めさせてもらって、停年までの残りあと4年間で教師としての総仕上げをしたい。納得のいく授業をさせて欲しいと校長にお願いしました。

そして、ついに総務部長は辞めさせてもらえたのですが、その後、君以外にどうしても適任者が見つからないので教頭をやって欲しいと頼まれてしまいました。

そして、2年間中学教頭の仕事をして、停年までもう残り2年となったところで、さすがにもういいだろう、残りの2年間で自分なりの授業展開を完成させるぞと思っていたのですが、今度は高校教頭をやれと命じられてしまったのです(私学の中高一貫校です)。

というわけで、授業実践については、不完全燃焼のくすぶりのまま、停年退職をむかえるということになってしまいました。

さすがにこれでは納得いかないので、嘱託講師という身分で学校に残らせてもらって、その任期2年間は、授業に専念させてもらって、もう思い残すことはない、完全燃焼出来たと納得してから学校を去りたいと思ったのです。

私のそんな気持ちを校長も分かって下さっていたので、快く嘱託講師に任命して下さいました。

しかも、その2年間で、私は高校2年、3年という、一番大切な時期の物理を持ち上がりで担当することになったのです。

歳も歳なので(もう66歳になっていました)、頭の働きもずいぶん悪くなっていますし(東大や京大の入試問題を1題解くのに1時間もかかったりします。一応弁解しておきますが、教師の「解けた」は、単なる解けたではないのです。問題を自分の心の中でしっかり熟成させて、生徒にその問題の構造が手に取るように、目で見えるように、具体的にイメージさせることができるようになって、はじめて「解けた」なのです)、生徒にとことん付き合うという体力もありません(体力は若い頃からなかったんですけどね)。

高2、3年を担当するなんて、果たして自分にやり遂げられる仕事なのだろうか。

大学受験で、物理の成績で足を引っ張って良い結果が出なかったということにならないんだろうかと、常に不安をかかえながらの2年間でした。もう限界だなあと感じたことも何度もありましたが、ヨタヨタ、フラフラしながら、何とかここまでたどり着けました(センター試験が終わり、2次テストまであとひと月を切りました)。

残念なことには、担当する学年の生徒たちは、高校1年の時に非常勤講師の先生の物理の授業を受けていて、しかも経験不足の先生だったということもあり、物理の基礎をしっかり教えてもらっていなかった生徒たちなのです。そんな生徒たちを高校2年から引き受けたので大変でした。

なんせ「運動方程式て何ですか?」という質問をする生徒が多数いるという状態からの出発だったのですからね。そんな質問を受けて大変ショックでした。

そして、3年間の内容をこの2年間で授業し直して、ようやく追いつくことが出来たと思います。

センター試験の前日に激励集会があって、高3担任団の先生がそれぞれ話しをすることになりました(私も高3担任団に所属していました)。
その時、私は次のような話をしました。

「この2年間、ずいぶん頑張ってくれました。はじめは1年間のギャップ(冬眠?)を2年間で埋められるんだろうかと、とても心配でしたが、外部模試の成績も次第に上がってきて、これは行けそうだなあという目途めどが付いてきたように思います。君たちのがんばりの結果です。ありがとう、とても感謝しています。

私は君たちと一緒にこの学校を卒業するということは、もうすでに言いましたね。君たちは私が送り出す最後の生徒たちなのです。
それで、私も有終の美を飾りたい、いい思い出を残したいと、自分なりにあれこれ工夫して頑張って授業してきました。

それでも、自分に出来ることなんてたかが知れています。

苦しいときは神頼みだと、神様に易占いでお願いしました。すると、『すい』というけ卦が出ました。
すいは、集まる、集めるという意味の漢字です。抜萃ばっすい(粋)という言葉がありますね。本の中から気に入った文章を抜き出して集める(萃)から、抜萃なんですね。

易経の解説書によると、この卦は、『登龍門とりゅうもんの卦』と呼ばれているそうです。そして、就職や転職や「受験」には一番いい卦なんだそうですよ(生徒たちから「ヨッシャー!」の声)。

『セレンディピティ』という言葉を最近よく聞くようになってきました。これは、思いがけないラッキーな出来事に偶然出会うことが出来る能力のことで、君たちは今年、そんなラッキー遭遇能力がグンと高まる年なんですね。

昔、ホークスに多村選手がいましたね。今は横浜ベイスターズにいるのだったかな。
あるとき、その多村選手が、急にバンバン打ち出して止らなくなった時がありました。
『なぜそんなに打てるのですか?』と記者がたずねると、多村選手がこう答えたそうです。

『以前はバッターボックスに入る前に、ホームランを打ってやろうとか、ピッチャーがこういうボールできたら、こう打ち返してやろうなどと策をいろいろ考えていました。

でも、いくら作戦を練っても、不安な気持はぬぐえないでいたのです。打てなかったらどうしようか、などという不安な気持のままバッターボックスに入っていました。

しかし、この頃は、もう何も考えないんです。ただ、バッターボックスに入って、とりあえず思いっきりバットを振り抜けば、きっと何かいいことが起こるんだという期待感だけを抱いてバッターボックスに入れているのです。

こうするという目標は決めないんです。
何かいいことが起こるはず、という気分だけです。
いいこととは、たとえば、それはクリーンヒットかもしれないし、打球を野手がエラーすることなのかも知れないし、当り損ねのボテボテの内野安打になって出塁出来るのかも知れないし、三振したけどキャッチャーが後逸して振り逃げすることになるのかも知れないのです。

どういうことが起こるのか、自分にはさっぱり分からないけれど、とりあえずバッターボックスに入って、バットさえ思い切り振ればきっと何かラッキーなことが起こるはずだという明るい期待感を維持できているというのが、好調の原因だと思うのですね』

多村選手は以上のように語っていました。

皆さんもそうなんです。
今年は運がいい年なんです。
きっといい結果が出るんです。

だから、取りあえず試験会場に行きましょう。無事試験場までたどり着けたら、ヨシ勝った!です。
たどり着けたら指定された席に座りましょう。座れたら、もう勝ったようなもんです。
さあ、おもむろに鉛筆を持ちましょう。
後は、きっと思わぬラッキーが舞い込んでくるんだと信じて無心に問題を解いてゆけばいいだけなんですよ。

さあ、じゃあ元気に行ってらっしゃい。月曜日には沢山の笑顔と出会えるのを楽しみにしていますよ」

センター試験の結果は、平均点で九州全体ではトップでした。2位の高校とは7点も差がありました。

残念ながら、兵庫県の例の学校には3点差で及びませんでしたが、西日本全体で2位の成績が取れました。

67歳のおじいさん先生の引退前の仕事としては、自分なりに納得できる結果でした。
これで思い残すことなく引退できます。

やったね、大敬さん!
ありがとう、素晴らしい生徒たち!

(補足)
以上のように、これが最後のご奉公と決めていたのですが、当時の高2の担任団から強い要請があって、2年生に非常勤講師として物理の授業を受け持つことになりました。さらに「もう1年、入試前の最後の仕上げも先生にお願いします」という要請もあり、結局この学年を高2、高3と持ち上がることになりました。
この学年の生徒を送り出した時、私はもう70歳になっていました。
そのあたりの事情は次の『大敬近況報告』という文章をお読み下さい。

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