大敬近況報告

しあわせ通信(毎月1日・15日更新)

本記事は「しあわせ通信217号」(2019年)の内容を転載させていただいています。

まずは大敬の近況を報告します。
3月いっぱいで学校教師を引退することにしました。
今年は高校3年生を教えていたのですが、『この辺が限界かなあ、これ以上教師を続けると若い先生方の迷惑になるなあ、ここらが退け時だなあ』と切実に感じるようになりました。
もう70歳ですからね、これでお終いということにしても神様にしかられることはないでしょう。

非常勤講師ということもあり、週に3日しか登校しませんから、生徒が質問にやってきても肝心の先生がいないということになりがちで、充分に面倒を見てやれなかったという後ろめたさもありますし、体力や気力もやはり衰えてきていて、それに頭脳の働きも少しずつ弱ってきているなあと実感しています。授業内容も『ここを教えていなかったなあ、ここの教え方は不十分だったなあ』という、「学力の穴」になったであろう箇所がたくさんあって、本当に申し訳なかったという思いが強いのです。

というように弱音を綴っていたところで、インターネットの速報版で「東大合格者数の高校別一覧表」が掲載されているのを見つけました、そして驚きました。
なんと私の学校は東大合格者50名という素晴らしい成績だったようです。誤報だろうと始めはとても信じられなかったのですが、どうやら正しいようです。

全国トップテンに入る第9位の成績で、トップテンのうち8校までは東京都、神奈川県、千葉県という関東圏の高校で、残りの2校だけが関東以外の高校で、兵庫の灘高校と福岡県の我が校だけなのですから、これはたいしたものでしょう(エヘン!)。

私は不十分にしか教えられなかったという実感があるので、もちろんこれは高校3年の担任団の先生方や他の教科の授業をされた先生方の献身のおかげだと思い、感謝しています。
そして、これは何よりも「70歳までよく頑張ったなあ」という神様のご褒美のプレゼントなんだと思います。
これで後悔の気持ちを残さず、有終の美を飾って心置きなく卒業することが出来ます。神様、本当に有難う!

「東大合格50人だった」とうれしくなって妻に言うと、「それはすごいけど、あなた一人のおかげじゃないよね」と、自惚れるなと釘を刺されました。
もちろんそのとおりで自分の力じゃないんです。それはよく自覚しています。

しかしですよ、私はいつもそういう「快挙」や「ハッピーの山」の頂上にフワッと浮かんでいるというか、チョコンと坐っていることになっているというのも事実なんですね。

教頭をやっていた時は、何の努力もしたわけではないのですが(「5時まで教頭」でしたからね)、九州トップの進学校になりました。しかし、私が定年退職で教頭をやめると、直ちに2位に逆戻りし、退職後は常勤講師として、非常勤講師として、高3を2度担当することになりましたが、その都度、成績は九州でトップになりました。

私が関わる学年では、必ず「ハッピーの山」が高く盛り上がって、私はその頂点にフワッと坐っているということになるのです。不思議なことですがこれは事実です。

どうすればそんな「しあわせ山の頂上にいつも坐れる人間」になれるのか、私の経験をもとに考えてみました。

(1)自分の力が足りないことを自覚する謙虚さを持つこと。

私は自分がやっている仕事に自信が持てたことがありません。いつも『ここは失敗だったなあ。もう少しこうすべきだったなあ』と、シモタ・シモタ(しまった、しまった)の連続です。

自分のダメさ加減をしみじみ実感しているので、自分の力量で何かをやり遂げよう、人を動かそうなんて自負したことはありません。
仕事に関しても、いつもビクビク薄氷を踏む思いで歩んできました。
自分が「ビクビク弱虫」であることを認める勇気をまず持ってください。

(2)自分には力が足りないから、自分に代わって神様がやって下さるんだと信じましょう。

自分は弱虫なんだから、自分に足らないところは神様にお願いして足していただくしかありません。自分が出来なくても神様にはきっと出来るのですから。

非力ひりき日力ひりき」という言葉がありますが,自分に絶望し、もう自力じりきに頼らなくなったからこそ、他力たりきである「(日、霊)りき」が発動して最高の仕事をさせていただけるのです。

私は、講演会や坐禅会で皆さんにお話しをする前には、神様に『私には何の力もありません。私を通してあなたが働き出して下さらなくては、皆さんの役に立つお話しはとても私にはできません。
どうか参加して下さった皆さんの心をなぐさめ、心の傷を癒し、元気になって頂けるような、そんな素晴らしいお話が私を通して現れますように、ご加護のほどよろしくお願いします』と神前で祈っています。

しかし、ここで心構えのポイントがあるのです。
自分にはとても無理ということが分かったから、神様にお任せするわけですね。

一切をお任せするのであれば、どんな結果が現れても、それは神様の思し召しなのだからと文句を言わず、そのまま『ありがとうございます』と、感謝してお受けするという覚悟が必要なんです。「お任せする」というのはそういうことなんです。その覚悟が決められますか?

神様の意志の流れが大宇宙を滔々とうとうと流れていて、神様に一切をお任せすると、神様はあなたをヒョイと摘み上げて、あなたにふさわしい処に浮べて下さいます。
その時点からあなたは神の流れのままドンドン運んでゆかれます。
この流れがどこに到着するのか、あなたにはサッパリ先が見通せません。
そんな場合でも、あなたは流れに逆らわず、一切を神様に任せて運んで頂く覚悟がありますか?

まだ、自分に何かがやれるという自負の気持ちが少しでもあれば、なかなかそんなお任せの、目をつぶって力を抜いてただ浮かんでいるというような気持ちにはなれません。よっぽど自分に対する絶望感が深くなければ、『どうにでもしてください』という「まな板の鯉」の心境にはなれないものなのです。

(3)神様のことをよく知っておきましょう。

神様はなぜ私のようなちっぽけな人間を、たいして人類の進化に貢献出来そうもない、ひ弱な人間を愛し、育み、援助してやろうなどと思われるのでしょうか?

それは、私が弱虫で、ちっぽけで、神様の目からみて、とてもそのまま放っておけないからなのです。強い人は放っておいても自分でなんとかするでしょう。
だからこそ、私が神様の目にとまったのです。あなたもまた私と同様の資格があるのかも知れません。

そのことを忘れないように、ハッピーなことがこれから連発しても自分の力で獲得したんだなどと誤解しないように。

得てして人は、困った時は必死で神様にお願いするくせに、問題が解決した暁には、すっかり神様のおかげであることを忘れ勝ちで、自然にそうなったんだ、あるいは自分の力で解決したんだなどと思いがちです。問題が解決したら、神様に『ありがとうございました』と感謝して、分相応の物品やお金を差し上げることをちゃんとしておかないと、もう次回からは神様から縁切りされてしまいます。

(4)まず自分のしあわせより先に職場や知人の発展やしあわせを祈りましょう。

自分のための祈りよりも人(職場)のしあわせを祈る方がよく叶います。
たとえば、自分が病気になって回復するよう祈るより、人が病気になった時に、その人が元気になるように祈った方が効果が大きいのです。
それは、その祈りにはエゴが含まれていない、純粋な気持ちからする祈りだから、神様もその清い気持ちに感じ入って働いてくださるのだと思います。

日本の神様は、よその国の場合のように、人と神が契約関係で結ばれているというような神様ではなく、とても情が厚い、心意気に感じて発動して下さる神様なので、自分のためではなく、人(職場)のために祈れば、その心意気に感動して「よっしゃ、まかせとけ!」と動き出して下さるのです。

「人(職場)のために祈っても自分には一文の得もないじゃないか」などと不満な人には、ここでお話ししていること全体がムダごとなのかもしれませんが、まあ、そう言わずにもう少し読み進めて下さい。

人(職場)のために祈ると、その人(職場)がしあわせになります。そうすると、あなたが祈った対象の人(職場)が、あなたが祈っていたことを知っていても知らなくても、その人(その場)の本心が喜んで、あなたに感謝のお返しを必ずしてくれます。そのお返しによって、あなたのしあわせ度がアップします。あなたが祈った人のしあわせ度もアップし、あなたも同時にしあわせ度が上がることになるのです。

私の場合は、朝職場に着くと、『職場の仲間がみんなしあわせでありますように』とまず祈ります。

折に触れ、先生方が献身している、いい仕事をなさっている光景を見ると、『ありがとうございます』と心の中で合掌して感謝しています。
そういう作業を繰り返してゆくうちに、職場の「しあわせ山」がドンドン高くなってゆきます。それにつれて私も上に引き上げられてゆくのです。このようにして、私は「しあわせ山の頂点にいつも坐れる人間」となれたのだと思います。

思わず話が長くなりました。近況報告を続けます(平成31年,2019年の文章です)。
只今、カドカワさんの4冊めの古事記の本を執筆中で、高3の進学指導をしていたということもあって、なかなか仕事が捗らなかったのですが、ようやく執筆の時間がとれるようになり、3月中には第1稿を書き終えたいと思っています(『古事記開運法』)。

それから、関西のU君がこれまでやった参拝ツアーや京都のトータルヘルスデザイン本社でやっている禅の会のお話し2回分を「文字起こし」して下さって、バンクシアブックスから『<大敬流>国生み記伝-めざせ!ユニティの時代の巻-』というタイトルで出版されました。淡路島での国生み神話についての講演や白隠禅師の坐禅和讃の観点を変えた解説などが収録されています。
定価は381円と安価なものなので、何冊か購入してお知り合いの方にもプレゼントされたらいかがでしょうか。昨日の会社からの報告では売れ行きはとても好調のようです。
この1冊だけでなく、引き続いてシリーズにして続刊してゆくことになりました。U君の「文字起こし」の作業はとても大変で申し訳ないことなのですが、お楽しみに…。

それから、東京でも「立花大敬先生の坐禅会」を毎月1回、5月から開催の運びとなりました。これで、東北や北陸、長野などのお仲間の皆さんとも親しく顔を合わせる機会が増えるのでとても楽しみです。(2019年時点の情報です。現在会場開催の坐禅会は行っておりません)

以上が近況報告です。
これまでは、生徒達を東大や医学部に合格させるために頑張ってきましたが、これからは福岡・京都・東京の禅の会の皆さんを人生道の東大や医学部に合格させるために知恵を絞って工夫してゆきたいと思っています。

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