法遠の場合-永平知事清規を読む(6)-

しあわせ通信(毎月1日・15日更新)

本記事は「しあわせ通信188号」の内容を再編集して掲載させていただいています。

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今回は法遠さんの苦労話です。師匠は葉県せっけん帰省きせい禅師という方です。

「知事清規」の本文には、この師のことを「厳冷枯淡げんれいこたん」と評しています。
つまり、厳格で冷酷で潤いのない、およそ豊かさとか、温かさとか、おおらかさとは無縁な人だったようです。

私だったらこんな師匠は絶対お断りですが、不思議なもので、こんな師匠にぴったりの弟子が、また現れるものなんですね。

こういう師匠について苦労することが、ある種のタイプの弟子にとってはどうしても必要で、そんな苦労を通して大きく成長してゆけるということがあるのですね。
すべての人がそうであるわけではないのですけれどね。
 
法遠と道友の義懐ぎかいは、帰省禅師の道場に入門しようとやってきました。同じ時期に帰省さんの道場に入門しようとやって来た雲水うんすいさん(修行僧のこと)が何人かいたようです。

禅道場に入門志望の僧は、まず旦過たんが寮(一時宿泊所、朝(旦)になれば出て行く(過)ので旦過寮といいます)に入ります。そこで、道場に入門させて大丈夫か、鵜の目鷹の目でチェックされるのです。

旦過寮で坐禅していると、師匠の帰省が、本文には「訶罵駆逐かばくちく」と書いてあるので、「お前たちはこの道場にふさわしくない、出て行け」と怒鳴り散らして追い出そうとしたわけですね。

そして、厳寒の候だったのに、坐禅している僧たちに水をザンブとぶちまけました。

僧たちはすっかり腹を立てて、「こんなところには居れんわい」と出て行きました。

しかし、法遠と義懐だけは、ずぶ濡れの体を拭いて、衣を着替えて、さらに坐禅を続けました。

そこに、師の帰省が再びやってきて追い打ちをかけます。

「まだここにいたのか、さっさと出て行かんかい。出て行かんかったら、お前たちをぶっ叩くぞ」

法遠は師の前に進み言います。「私たちは師の道場で学ぶために、はるか数千里の道のりを歩き通してやってきたのです。水を掛けられたくらいで、叩かれたくらいで立ち去るもんですか。たとえ打ち殺されようとも、決してここを離れません」

師は笑って入門を許可しました。

しばらくして法遠は典座てんぞ(食事係)に任命されました。

こんな「厳冷枯淡」な師ですから、食事は貧しくて、道場の修行僧たちは栄養失調になってフラフラ、厳寒の中、青白い顔でブルブルふるえながら坐禅していました。

もし、お寺が貧しくて食材がないというのなら、みんな納得出来るのです。しかし、そうではないのですね。食料庫には食材がいっぱいあるのに(当時は国費で寺を保護していました)、この師匠はケチンボで使わせないのです。

ある日、師が町に用があって外出しました。

鬼の居ぬ間にと典座の法遠は、食料庫の鍵を盗み出して「油麺ゆめん」などの食材を持ち出し、僧たちに「五味粥ごみしゅく」を調理してふるまいました。

「油麺」とはどういうものなのでしょうか。フライ麺のことかも知れませんね。お分かりの方は教えて下さい。

広辞苑によると、「五味粥」とは、「温糟粥うんぞうがゆ」のことで、釈迦成道の日とされる12月8日の晩、禅宗の寺で食べる、味噌と酒粕を加えて煮た粥のことだとありました。

要するに、寒さが厳しい頃に、僧たちが体調を崩さないように、バランスの良い(甘・酸・鹹・苦・辛の五味完備の)栄養分を体に吸収させ、体を温めるための粥なんでしょうね。

法遠は典座の役割を勤めていました。

典座は禅寺では修行僧たちが体調を壊さないように、元気に修行を持続出来るように、バランスの良い、栄養価がある食事を供給するのが義務であり、仕事なんですね。
 
法遠は、青白い、フラフラ状態の修行僧たちの姿を見て、これではいけないと判断したのですね。典座を務める者として、ここでは師の命令に背いてでも、僧たちの健康維持を優先させるべきだ判断したのですね。

僧たちがとても喜んで食事をしているところに、師が帰ってきました。

食事の後、師は法遠を呼び出します。

「あの食事はどうしたんだ」「はい、私が食料庫から油麺などの食材を持ち出してみんなにふるまいました。これは私の罪ですから、どうぞ私を罰して下さい」

師は、持ち出した油麺などの合計の値段を計算し、法遠の衣鉢いはつ(三衣と一鉢。いずれも僧侶の所持品)を売って返却させ、三十棒叩いて寺から追放しました(ここまでくれば異常ですよね)。

法遠は僧たちの同情を集めていましたから、僧たちの手配でこっそり寺の宿坊(寺が経営管理する宿屋)に泊まれるようになりました。
そして、帰参させて下さいと、道友を通して師にお願いしましたが、許しません。
では、せめて師の法話の時だけでも、聴講させて下さいとお願いしましたが、これも許しません。

ある日、師が外出したとき、宿坊の窓からボーッと外をながめている法遠を見かけました。そしてたずねます。

「いつからここに泊まっているのか」「はい、寺から出たときからここに寝泊まりしています」

「宿賃は支払っているのか」「いいえ、好意に甘えております」

「お前はもうこの寺に所属する僧ではないのだから、宿賃を払わねばならない。宿泊滞在日数は〇〇日だから、宿泊代金は合計〇〇だ」

法遠はその日から托鉢たくはつ(家々をめぐってお金や物品を恵んでもらう行為)を開始し、集まったお金を次々寺に送金しました。

その苦労を知って、師は法遠の帰参を許しました。

この法遠がとった行動を道元さんはとても賞賛しておられます。この行動のどこが素晴らしかったのでしょうか。

僧たちが元気よく修行に励むことができるように、食事を精一杯工夫して供給する。

日々の僧たちの様子をしっかり観察して、今必要な栄養分は何かと気づき、それを含んだ食材で料理を調理して提供する。それらが典座の果たすべき責務ですね。

その責務が、時には、師の方針に反するということもあるかも知れません。

その時に、もし僧たちの健康のためにどうしても必要であると判断したならば、ルール違反を犯すことになり、それで罰せられることになっても、断固として自分の責務を果たす。

その行動で、たとえ罰せられることになっても、いいわけはしない、師の批判はしない。ただ、黙々と懲罰を受け入れて悔いない。

そんな法遠の行動と態度を道元さんは絶賛しておられるのです。それこそが大乗菩薩道なんですね。

禅を修行した人のたどり着くゴールは、「知ってことさらに犯す」、「失銭遭罪しっせんそうざい」という言葉に要約されるのだと禅の先輩方がおっしゃっています。

「知って故らに犯す」とは、「もしこの行動を取れば、自分の損になると分かっていても、もし自分のこの行動でしあわせになる人が一人でもいるならば、自分はあえて(知って故らに)その行動を取りましょう(犯す)」、これが「知って故らに犯す」です。

どうですか、これが禅者が最後に到り着く心境で、これはまさしく大乗菩薩の気概というものですね。

「失銭遭罪」とは、この時代には、銭は一応は個人が所有しているけれど、それはあくまで国家から借りているので、もし持っていたお金を川などに落として紛失してしまったら、国家のお金を無くしたと罪になったそうなのです。

つまり、お金を無くして損をした上に、さらに銭を失ったと罪になってさらに損を重ねることになる。

禅者の到り着いた究極の姿は、つまり、世のため人のため、嬉々として損をしてさらに損を重ねてゆく人生なのです。これも大乗菩薩の男気ですね。

「嬉々として」いうのがポイントですよ。

眉間にしわをよせて、堪え忍んで、世のため、人のために行動するというのではダメなんです。

自然と喜びが溢れて止まないというような心境で行動出来ないのでしたら、まだまだ自分はそのレベルまで到っていないのだから、無理をしたらだめです。

自分の可能な範囲で、無理にならないところで、ボランティア的な行動をすればいいのです。先は永いのですから焦る必要はありません。

他のしあわせのためにお金や労力や時間を差し出すと、その行動がたとえちっぽけなものであっても、そのために心が解放され、喜びに満たされます。

そういう経験を積み重ねてゆくうちに、次第に手放しで、楽に生きられるようになります。

他のしあわせのために、差し出せば差し出すほど、自分に必要なものはタイミングよく、ドンドンと流れ込んでくることに気づきます。

ああ、自分の周りにお金や物品を積み重ねて、取られまいとビクビクしている必要なんてなかったんだ。自我防護の囲いを取っ払っても、自分は大宇宙から支えられ、護られて生きてゆけるんだと気づくのです。

法遠さんの場合は、僧たちのしあわせのために罪を犯し(遭罪)、その代金を弁償させられた(失銭)のですから、まさしく「失銭遭罪」の言葉通りの行動でしたね。

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