ある「大敬さんの坐禅会」での質問回答

しあわせ通信(毎月1日・15日更新)

Q1: 私の家の宗旨は禅宗ではないので、坐禅には少し抵抗があるのですが。

A1:どの方法でなければならない、この行法でなければ正しい悟りは得られないなどということはありません。

ご縁のある宗教や信頼できる師の教えを信じて実践すればいいのです。たどる道はいろいろですが、どの道も同じ山頂にたどり着くことになっています。

しかし、「大敬さんの坐禅会」のおいでになる時は、ご一緒に坐禅しましょうね。この「坐禅の場」には、大敬がようやくたどりついた境地の「安らぎと許し」の波動や観音様の「癒し」の波動、皆さんが組む「坐禅の功徳」の波動が結集して、ずいぶん密度の濃い、栄養たっぷりの「養いの場」となっています。その「あったかいお湯」にどっぷりつかり、身を任せて坐れるのですからとってもしあわせなことなのです。

坐禅になぜそんな効果があるのかはよく分かりません。ただ昔から伝承されたままの坐相で坐りさえすれば、身心がほどけて健康になり、運命が好転するのです。なぜ?と理由を追求しなくてもいいのではないでしょうか。「ただ、そうと信じてそう実行すればそうなる」だけなのです。

Q2:足が痛くて、なかなか脚が組めず、まだ長い時間坐れないのですが。

A2:私も坐禅しはじめた頃は、足が痛くて痛くて、少しの時間しか坐れませんでした。

先輩に「真向法まっこうほう」という足の体操を教えてもらい、またへこたれずに粘り強く坐禅しているうちに次第に楽に坐れるようになりました。

足には、内蔵とつながる経絡がたくさん通っていて、痛くて坐りにくいのは、そのいずれかの経絡の流れが順調でないからです。

真向法まっこうほう」の体操をしたり、坐禅を続けているうちに経絡の障害も少なくなり、内蔵も健康になってきます。あせらずに少しずつ長く楽に坐れることを目指してください。「真向法まっこうほう」は、検索で調べると、動画が出ていると思います。

Q3:坐禅してもなかなかいい坐禅になりません。

A3:坐禅は他の瞑想と違って、いい坐禅、悪い坐禅などと、「アタマ」で評価したりしません。そんな合格、不合格をジャッジしたがる「アタマ」をしばらくお休みにして、いいと思わず、悪いとも思わず、坐禅という形になぜか知らないけれど大きな功徳があるんだと信じて「ただ坐る」のが坐禅なのです。

Q4:この世に生きることに違和感があって、生き続けることがつらいのですが。

A4:私も四十歳台に入る頃までそんな状態でした。あっちの世界の安楽の記憶があるので、こんな面倒な制限の多い世界に住んでいたくなかったのです。

しかし、個我の殻がほどけて、天とつながり、世界と生き通しになった時、実は他の人やモノや世界と自分は一体のいのちで、そんな兄弟姉妹のいのちたちと、笑ったり泣いたり苦しんだりする経験が実に尊い、貴重な一瞬で、そのためには何度でもこの面倒な世界に戻ってきて彼らと一緒にゴールまで歩んでゆきたいと思うようになってきました。

とはいうものの、この窮屈な世界で生きるのはそんなに楽ではありませんね。いろんな軋轢や葛藤が次々やってきてずいぶん消耗します。

そんなヘトヘトな時、坐禅さえ組むと、なぜか「いのちの充電」が出来て、また頑張ろうという気持ちになれるので、坐禅は、この面倒な地上世界を渡ってゆく上でとても有難いアイテムなのです。

Q5:延命十句観音経で願いを叶える方法を教えて下さい。

A5:お経を称える前と、称えた後に、祈りの時間を設けて願いを神様(仏様)に告げます。そして、お経を称えるときは、ただ無心に称えるだけでいいのです。

自分の念力で願いが叶うのではありません。願いを叶えて下さるのは、光の世界の方々なのだということを忘れないで下さい。

延命十句観音経の場合は、観音様、天神様、白隠禅師などが中心となって、それにこのお経の功徳で救われた、現在や過去の多数の方々も協力して、あなたを援助して願いを叶えて下さいます。

一つの願いに三千回称える(一日百回として一ヶ月間ぐらいですね)というのが基本です。

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