「スプーン曲げ」

しあわせ通信(毎月1日・15日更新)

昔「スプーン曲げ」というのが流行ったことがありましたね。

これは、ユリ・ゲラーという超能力者が来日(1974年)して、テレビで「スプーン曲げ」を実演するのを見た人の中から、自分も「スプーン曲げ」がやれるようになったという多くの人が出現したという現象でした。

特に幼い子供たちが、やすやすとスプーンを曲げてしまうのが目立ちましたね。

これは、子供たちには『そんなこと出来るはずがない、トリックなんだろう』なんていう「抵抗観念」が、心に生じないから簡単に出来てしまったのでしょう。

では、なぜこんな「スプーン曲げ」ブームが起きたのでしょうか。

実は、これは「天」からの、以下のようなメッセージだったのです。

君たち(地上世界の人類)は、今住んでいる世界がどこかおかしいゾと、もうとっくに気づいているはずだ。

もっと心豊かで、平和で、差別のない、どの人も平等に尊ばれ、祝福される世界でなければならないはずだと、心の奥底では分かっている。

しかし、今住んでいる世界はどっしり重く、ガッシリ固くて、私のようなちっぽけな存在が、どう足掻あがいても、今の間違った世界を作り変えることなんて、とうてい出来やしないんだと諦めてしまっている。

しかし実は、「世界」はなかなか変形させ難い「剛体ごうたい」ではないのだ。そのことを「スプーン曲げ」という実験を通して確かめてみなさい。

「君たちが、しっかりした固体で、その形を変えるには強い物理的な力が必要だと信じている「スプーン」でさえ、ほら、このように、『曲げよう』という君たちの「意志」だけで簡単に曲げることが出来るものなんだよ。

そのように、もし君たちが世界を「固体」と見る観念の誤り(抵抗観念)を取り除き、『世界を変えよう』と、純粋に強く「意志」すれば、今の誤った道を進み、滅びに向かいつつある「世界」をねじ曲げ、正しい方向へと引き戻すことが出来るんだよ。そのことをぜひ知って欲しい。君たちに内蔵されている「意志のパワー」に目覚めて欲しい。

ユリ・ゲラーさんの来日より、12年後(1986年)、アレックス・タナウスという超能力者が来日しました。

来日して、日本人の「魂の状態」に触れた彼は、次のようなメッセージを残しています。

1960年以降に生まれた人は、左脳より右脳が優勢になっている。特に日本人はその進化の最先端を進んでいるようだ。

これは、私(大敬)のコトバで言うと、1960年以降に生まれた人(特に日本人)は、自我の囲いが薄くなっていて、その分、他の人や世界の波動を感受しやすくなっているということです。

それで、タナウスさんが言うには、その魂の変化によって、これらの人たちは、世界や他の人が発する思いの波動をさえぎる囲いが薄くなっているので、もろにその影響を受けてしまいがちで、世界や他の人の「負の波動」の方向に、自分もまた押し流されて漂流してしまいがちになるというのです。

それでタナウスさんは、たとえば、学校のクラスの生徒全員が、ある生徒が発する強い「負の思念」に感染し、その波動に誘導され、また、その「負の波動」を生徒間でやり取りしているうちに、ますます増幅していって、ついにいっせいに自殺するというような集団自殺のような現象が日本で起こるのではないかと心配されたようです。

当時、青少年・少女の「グループ自殺」といった事件が何度も報道されたのを覚えています。

確かに、日本人の魂にはそういう傾向性がありますね。自我の殻が、他の民族に比べて薄いのです。

太平洋戦争の開戦の時でも、なんということなしに、皆がその気になって、責任者不在のまま、開戦へと突き進んでしまいました。

結局、そのような日本人全体による、何とはなしの意志決定は「レミングの死の行進」で、ついに高い崖からたくさんの人たちがドンドン落下してゆくというような犠牲を払わねばなりませんでした。

人類の魂の進化は、自我の囲いを薄くし、魂の融合一体化に向かうという段階に入ってきました。特に日本人はその進化の最先端を進んでいます。

しかし、それは大変危険な状態でもあるということは、以上の例からお分かりいただけるでしょう。

たとえば、人類の魂のこれまでのステージは、服で身を護るようなものです。この「服」で譬えているのは、「自我の囲い」のことです。

「服」をまとっているので、寒暖の激しい変化に振り回されず、外傷を負うというリスクからも護られて来たわけです。

しかし、中には外界からやって来る刺激に過度に反応して、服を必要以上に重ね着して行動の自由を失ったり、体調を崩したりする人もでてきました。

そこで、人類の魂の進化は次の段階に入って、今度は服をどんどん脱いでゆき、裸に戻ってゆく過程をたどることになったのです。

しかし、「裸」になれば、外界の厳しい環境に直接身をさらすことになりますね。外傷も負いやすくなります。

では、そんな時、どうすれば身心を護れるのでしょうか。

それは、「光」をいのちの内側から放って、その「光の服」で身を護るのです。

では、何がそんな強力な「光の防御服」になるのかというと、それは「強く揺るぎない意志」なのです。「人の意志」は、あちらの世界からながめると「光」なのです。

その「光」は、地上世界で我々が観察するような、はかない感じのものではなく、もっと粘り気と強度と弾性をもった「実体的な光」なのです。

タナウスさんが日本で講演される前日の夜、タナウスさんに道元さんの霊が現れたそうです。

そうして、日本の人たちには「意志の力」の大切さを強調して教えてやって欲しいと依頼されたそうです。

どういう「意志」を強く持てば、あなたが外界の厳しい変動から防御されるのか、以下に示します。

<決意の祈り>

もう私は、自分一人のしあわせのために生きることはやめます。
私はこれから人類の魂の進化向上のために生きることにします。
そのために私はどんな役割を果たせるのか私には分かりません。
どんな役割でも精一杯果たさせていただきます。
私にふさわしい役割をお授けください。

まだ、以上の<決意の祈り>にふさわしいほどの覚悟が出来ていなくてもいいのです。

とりあえず、まずこの<決意の祈り>を繰り返し称えて下さい。

そうすると、あなたは必ず大きな災厄から免れ、安らかに元気よく生きることが出来るはずです。 

それに、自分が持っている能力を超えた能力が、あなたを通して発揮されるようになってくるでしょう。

それは、実は当然のことですね。「自我性を超える決意」を述べる祈りなのですから、自我の限界を超えた能力が当然のこと発揮されるようになるのです。

また、そういう決意をした人を当然のこと、大宇宙の「意志」が護るのです。なぜなら、そんなあなたの「意志」は、大宇宙に「意志」にピッタリ沿ったものであるからです。

タナウスさんは言っています。
「ウィルパワー(意志の力)は原爆や水爆よりはるかに強いのだ」と。 

話をユリ・ゲラーさんにもどして、ユリ・ゲラーさんが引き起こす超常現象には、スプーン曲げのほかに、動かなくなった時計が動き出すというものもありました。故障していても、電池切れしていても動き出したりするのです。

実はこれも天から私たちへのメッセージなのです。

君たちは立ち止まってしまっている。時を止めてしまっている。

忙しく動いているようでも、君たちはグルグル回って、またもとの時点に立ち戻るという、時を前に進めない不毛の行動を繰り返しているだけだ。これを「輪廻りんね」というのだ。

立ち止まっていてはならない。停滞してはならない。

止まってしまった時を、再び動き出させよ。新しい時をスタートさせよ。

君たちの強い意志で、この世界をこの方向に向わせるぞと、強く決意した瞬間から「新しい時」がスタートする。

もう惰性や輪廻の時に受動的に従うのではなく、君たちの進化のゴールに向って真っ直ぐに進む、君たち自身が主体的に自ら紡ぎ出す「時」を、只今から始めねばならない。

以上は人類全体に対する天からのメッセージですが、実は個人的にも「時」を止めてしまって、そのまま過去に置き去りにしてしまった「魂の断片」を誰もが抱えていて、それがその人の順調な進化成長過程を妨げているのです。

これらの「魂の断片」を、今のあなたの魂に統合しなければ、本当の意味で「新しい、希望に満ちた時」をスタートすることはできないのです。


法華経に多宝塔の物語が記されています。

お釈迦様が弟子達に法華経を説かれていると、突然大地の底から「多宝塔」が湧き上がってきます。

お釈迦様は、「この塔の中には『多宝如来』という仏様がいらっしゃるんだよ」と弟子達に告げます。

弟子達は、「ぜひ、多宝塔の扉を開いて、多宝如来を礼拝させて下さい」とお釈迦様にお願いします。

すると、お釈迦様は、「多宝塔の扉を開けるには条件があるんだ。宇宙いっぱいに散らばっている私の分身たちを一人残らず、此処に集めることができれば、私は多宝塔の扉を開くことが出来るんだよ」

さて、それからお釈迦様の分身(魂の断片)たちをココ(現在の私の魂)に集める作業がはじまり、ついにその過程が完了して、お釈迦様がそれらの仏たちの代表として多宝塔の扉を開け、弟子達一同が多宝如来を礼拝することが出来ました、という物語です。

このたとえ話でお分かりのように、私たちは過去にたくさんの「魂の断片」を置き去りにしてしまっているのです。

それらをことごとく「今・ココのあなた」に統合出来たとき、はじめて多宝塔の扉が開いて、そこから「実り豊かな時(多宝の時)」をスタート出来るのです。

もし、あなたが<決意の祈り>を繰り返し称え、少しずつその決意が本物になってくると、過去の時に置き去りにした、自らの「魂の断片」の存在に気づけるようになり、それらの断片を現在のあなたの魂まで連れ戻してやれるようになります。そうして魂の全体性を徐々に取り戻したあなたは、次第に素晴らしい「多宝の時」を迎えることが出来るようになるのです。


ある女性とご縁ができました。

その方はとても魅力的な女性なのですが、なぜかあまり順調ではない人生を歩まれて来たのです。

それが不思議だったのですが、お話しを聞いているうちに、その方の魂にとても幼い部分が垣間見えるということに気づきました。

幼い少女が見えてきて、その少女が迷子になって途方に暮れて、道端に佇んで泣いているというイメージが浮かび上がってきたのです。

その悲しいイメージを見て、「ああ、この方は過去に少女を置き去りにしているんだなあ。なんらかの辛い出来事があって、その時点で「時」が止まってしまって前進出来なくなってしまった魂の部分、私のコトバで言えば「置き去りにされた魂の断片」があって、それが、この方の今の人生の足を引っ張っているのだと分かりました。

この方は、人生がうまく歩めないのは「霊障」のせいだと信じておられるようなのですが、この場合は霊障というよりは、「アダルトチルドレン」が前進にブレーキをかけていると見たほうが正しいと思います。

ただし、過去に取り残した、この方の魂の本体から分離してしまった魂の断片にも「いのち」があって、「いのち」がある以上、その断片に意志も生命エネルギーもあるわけですから、それを「霊」と捉え、それがその方の人生の順調な歩みを妨げる障害となっているという意味では、「霊障」という捉え方をしても誤りではありません。

この方の場合の対策としては、まず、この迷子になって泣いている少女に「大丈夫よ、そこで待っていなさい。きっと迎えに行ってあげるからね」と、時々声を掛けてあげて下さい。

そして、過去の出来事をゆっくり回想して、どの時点で、この少女は迷子になってしまったのか調べて下さい。

しかし、無理に見つけようとしてはいけません。神さまは、あなたにとって、一番ふさわしいタイミングで、その迷い子となった時と場所を明らかにして下さいます。

その時と場所が明らかになれば、そこまで迎えにいってあげてください。

その少女を、しっかり抱きしめてあげてください。
 
そして、その少女を現在のあなたの時点まで連れ帰ってあげてください。

しかし、抱っこしたり、おんぶしたりして連れ戻してはいけません。

その少女が、たとえたどたどしい歩みであっても、「自分の足」で歩むようにしてあげて下さい。

手をつないで一緒に歩いてあげてもいいし、道を示してあげるのはいいのですが、たとえ歩みが遅くとも、つたなくても、少女が自分の足で歩き進むのに、忍耐強く付き合ってあげてください。

そうして、少女があなたの現在の時点、場所にたどりつけた時、少女(その時はもうあなたと同じ背丈まで成長しているはずです)はにっこり微笑んで、あなたに感謝して消えてゆくでしょう。

もう少女はあなたの魂の中に吸収され、あなたとひとつになったのですから。

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