ヒルコ・アワシマのこと-その1-

しあわせ通信(毎月1日・15日更新)

さて、古事記冒頭の「ことあまつ神」、「神世かみよ七代ななよ」によってイザナギ・イザナミという「人の原型」が設計デザインされたというところまではすでに解説しました(『伊勢記伝』バンクシア・ブックスの第Ⅱ部をお読みください)。今回の話はその続きです。

そこで高天原の神々が、イザナギの神・イザナミの神を招いておっしゃいました。「下を見ても海原がどこまでも広がっているだけで陸地というものが見当たらない。そこで君たちが『国生み(日本列島を生み、神を生み、人が住めるようにする)』をしてきなさい」とお命じになって、あめ沼矛ぬほこを授けられました。

その命を受けて、この二柱ふたはしら(神様の数は柱で数えます)の神はあめ浮橋うきはし(天と地を結ぶエレベーター)を降ってきて、天と地の中間地点で止り、そこから海原に沼矛ぬほこを降ろし、海面をグルグルグルとかき回します。その際、「コオロコオロ(固まれ、固まれ)」と呪文を称えます。渦が出来たところで鉾を引き上げたところ、鉾の穂先から塩がポタポタ滴り落ち積もって島となりました、その島を「オノゴロ島」といいます。「オノゴロ」とは、「自動的オノ凝固ゴロする」という意味です。「オノゴロ島」が出来ると、イザナギの命・イザナミの命はその島に降臨されました。

さて、以上の古事記の記述で何か気づかれましたか?
高天原では「イザナギの神・イザナミの神」と記されていましたが、使命を託されてから後は「イザナギの命・イザナミの命」という名に変化しましたね。今後地上で使命を果たされている間はずっと「命」が使われていますが、使命を果たし終えて地上から去られてから後は再び「神」に戻っています。つまり、古事記の作者は意識的に「神」と「命」を使い分けているのです。

高天原でイザナギ・イザナミは「国生み」という天命を授けられました。その神々がお命じになったお言葉が「ミコト」で、神々のコトバには強いコトダマ力があるので、それがイザナギ・イザナミの心に収まると、そのコトバにいのちが宿って発動し働き始めます。その言霊の活動はその天命が成就するまで存続します。その期間がイザナギ・イザナミの地上におけるいのちの期間(寿命)ということになります。

以上のようなすべての内容を、「命」という「命ずる」と「いのち」という二つの意味を合わせもつ漢字を「ミコト」と読ませることによってそっくり全部含ませることが出来ます。どうですか、すごいでしょう!古事記作家は本当にコトバ使いの達人です。

さあ、いよいよイザナギ・イザナミはオノゴロ島に降り立たれました。地上世界での第1歩です。

まず天と地上世界を結ぶ「天の御柱みはしら」を立て、「八尋殿やひろどの」を設けられました。これは「見立て」という方法で一瞬のうちに現象化されました。「見立て」とは、見る(イメージする)ことによって現実化させる(立てる、建てる)神的能力です。

そうして落ち着いてみると、あら不思議!自分たちは「肉体」というものを身にまとっているではありませんか。

自分の身体、相手の身体の様子をよくよく観察すると、少し違ったところがあります。イザナギの体には出っ張った箇所があり、イザナミの体にはへっこんだ処があるのです。

それでイザナギが提案します。「僕の出っ張ったところを君のへっこんだところに埋めて、それで国生みすることにしようか」イザナミはその提案に同意します。

そこで、まず結婚の儀式です。

「天の御柱みはしら」のまわりをイザナギは左回り、イザナミは右回りして、出会ったところで魂の結びをするという儀式です。

なぜイザナギは左回りなのかというと、「左」は「日足ひだり」で、陽(男)のもの、イザナミは右回りの「右」は「水極みぎ」で、陰(女)のものなのだそうです。これは古神道の説です。

そうして、「天の御柱みはしら」のまわりを回る結婚の儀式をしていた時、イザナミは感極まって「ああ、あなたはなんていい男なんでしょう!」と口走りました。その後でイザナギが「ああ、君はなんていい女性なんだ!」とフォローしました。
 
そして手に手を取り合って、八尋殿やひろどのに入り、交歓しようとしますがうまくゆきません。『さてどうすればいいんだろう』と戸惑っていると、そこにセキレイが飛んできます。セキレイは止っているときも、歩いているときも、たえず尾っぽをタテにピョコピョコ振っている鳥です。
そのセキレイの様子を見ていて、『ああこうすればいいのか』とイザナギが気づかれて無事に行為を済ませることが出来ました(以上は日本書紀に載せられた面白いエピソードです)。  

そして、最初に生まれた子が、水蛭子ヒルコ淡島アワシマです。

二神のお名前で分かるように、ヒルコ(男神)はグニャグニャして足が立ちませんでした。日本書紀には三年経ってもまだ立つことが出来なかったと書かれています。

アワシマは女神ですが、しっかりした実体を持てなかったという意味で、「アワ(淡、泡)」です。また「島」は、「縄張り、境界」のことです。今でも反社会的組織の人たちが「シマを荒らしやがった」などと使っていますね。
つまり「アワシマ」で、しっかりした内と外の境界面を持つ個の存在となるまで成長することが出来なかったという意味なのでしょう。

そんな状態の我が子たちをみて、両親は葦船あしぶねにのせて流してしまいました(オイオイ!)。ちなみにヒルコ神はオノゴロ島(淡路島沖の沼島ぬしまとされている)から北に流され、兵庫県の海岸に流れ着いて、「西宮神社」で祀られています。

また、アワシマ神は南に流され、和歌山県の加太かたの海岸に漂着して、現在は「淡島神社」で祀られています。この神社は、特に女性の悩みや婦人病を癒す霊験があるとして知られています。

そして、高天原にいったん戻り、神々にそんな子供が生まれた原因を伺ったところ、神々は「それは結婚の儀式の時に、女が先に発言したからだ」と教えます(オイオイ!)。

そこで、オノゴロ島に再び舞い降りて、結婚の儀式をやり直します。イザナギがまず「ああ、君はなんていい女性なんだ!」と言い、次いでイザナミが「ああ、あなたはなんていい男性なんでしょう!」と言って儀式が終わり、八尋殿で睦みあって、そして淡路島からスタートして、次々日本列島の島々を生み出してゆかれました。
そのようにして「国生み」をやり遂げ、さらに地上ではたらく神々を続々と生み出してゆかれたのです。

(次回に続く)

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